謎のメッセージが残された未解決事件4選

事件に関する重要なメッセージが発見されつつも、未解決のままになっている難事件をご紹介します。

推理小説の中では、被害者や犯人が残したメッセージが見つかると、それを手掛かりに主人公の探偵が見事に事件を解決します。

一方、現実に起こる事件でも、実例は少ないものの、謎めいたメッセージが残されていることがあります。

ただ、推理小説と大きく異なるのは、そういったメッセージが存在する事件ほど、決定的証拠が発見されず、迷宮入りになる場合が多いのです。

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1 BLACK OLDER

ランドリー

1976年11月22日早朝、米国アイオワ州にあるオタムワという小さな町で、二人の男性がコインランドリーに立ち寄ったところ、店内に人の死体が横たわっているのを発見しました。

亡くなったのは、その店の主人であるジョン・ヒル(51)。

彼はナイフで数回刺された上、銃で撃たれていました。

死体の側には25口径のピストルが。

警察の調べにより、おそらくヒルは強盗事件の犠牲になったと判明。

弾痕

店の入口付近の壁にある5つの弾痕は、強盗犯に向けてヒルが銃で応戦したものの、全弾外したことを物語っていました。

早朝とはいえ、銃声が鳴り響けば付近の住民は直ぐ事件発生に気づくわけで、犯人としては一刻も早くその場を立ち去るのが常識でしょう。

ところが、奇妙なことに、この犯人は悠長にも店内の壁に意味不明な言葉を書き残していました。

文字

BLACK OLDER

実際には「B」の文字が不鮮明なので、「LACK OLDER」である可能性もありますが、何れにせよ、これら2つの単語だけではその意味するところが不明です。

この事件では、二人の容疑者が特定されましたが、彼らには完全なアリバイがあったために釈放されています。

結局、謎のメッセージからは何の手掛かりも得られず、真犯人も判明せず、事件は迷宮入りに。

しかし、ヒルの遺族は今でも事件の真相を知るために、情報提供を呼びかけています。

2 HELP ME

山

1979年4月7日、10歳のランディ・パースケイルは、祖父・叔父・兄と共に、アリゾナ州オラクルにあるペッパーソース・キャニオンで、ハイキングを楽しんでいました。

その途中、ランディが一人で勝手に先の方へと進んで行き、遂には他の三人の視界から消えてしまいます。

祖父たちが急いで後を追いかけたものの、既にランディの姿はありませんでした

その後、本格的な捜索が行われましたが、どこにも彼を発見できず。

彼らがハイキングをしていた一帯には、古い立坑があったので、誤ってその中へ転落したことも考えられました。

立坑

しかし、ランディの家族は全く別の可能性を信じていたのです。

彼は、何者かに誘拐されたのではないか、と。

その根拠の一つは、山道に残された「足跡」。

足跡

ランディのものと思しき足跡が続いているのを辿っていくと、ある場所で途切れていました。

これは、そこで車に乗せられた可能性を示唆しています。

もう一つの根拠は、事件に関連する、あるメッセージ

失踪事件から約6年後の1985年7月4日、ウェストバージニア在住の女性が、お釣りとして受け取った紙幣に不自然な「落書き」があるのに気づきました。

お札

フェニックス アリゾナ 僕は生きてる

助けて

ランディ・パースケイル

このことがきっかけとなり、捜査機関も事件解明へと動き出しましたが、手掛かりは得られませんでした。

しかし、この4年後、フェニックスにある建設現場で、ランディの社会保障番号を使用した人物がいるという情報が。

ランディの父親がその建設現場を訪れますが、残念ながら既にその人物は仕事を辞めていたのです。

建設

仮にランディが生きているとすれば、この時点で彼は20歳

他の作業員に話を聞くと、その人物の外見的特徴は、どこかランディを彷彿とさせるものがあったとか。

紙幣のメッセージが、ランディ本人が書いたものだとすれば、建設現場で働いていた人物も彼である可能性が高くなります。

ただ、そうなると、彼はなぜ両親に何の連絡もしてこないのか

あるいは、誰かがイタズラで紙幣にそれらしい文言を書いたのか。

今もどこかでランディが生きているなら、彼は40代後半のはずですが、事件の真相は謎に包まれたままです。

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3 WSR44

橋

1976年12月20日、米国ペンシルベニア州ホワイトヘイヴン近くの川沿いで遊んでいた少年が、橋の下にスーツケースが落ちているのを見つけました。

それは、既に開いた状態で放置されており、中には女性のものと思われる「頭部」が。

つまりはこの少年、無邪気に遊んでいたら、バラバラ殺人事件の死体を発見してしまったのです。

スーツケース

その付近から更に2つのスーツケースも見つかり、死体の残りの部位が入っていました。

それぞれのスーツケースは、橋の上から投げ捨てられたと考えられます。

身分証明書の類は現場から発見できず、被害者の身元は不明。

さらに、この事件には不可解な点が2つありました。

まず、スーツケースが何故かスプレーで真っ黒に塗り替えられていたこと。

そしてもう一つは、被害者の左の掌に、暗号めいた文字が書かれていたこと。

手

WSR 4(または5) 4(または7)

筆跡が不鮮明なために、数字の部分が確定できないのですが、可能性としては、

WSR 44

WSR 47

WSR 54

WSR 57

の4つのパターンが考えられます。

当初、これは車のナンバープレートを指していると警察は考えていたのですが、車を特定するまでには至りませんでした。

2007年10月、詳しいDNA鑑定の結果、彼女は元々ヨーロッパ中西部で生まれ、殺される4~5年前にアメリカに移住したと推測されました。

さらに、住居があるのは、死体が発見されたペンシルベニア州ではなく、おそらくテネシー州であるということも。

しかし、それ以上の手掛かりはありません。

彼女の名前すら分からず、物的証拠も目撃者も無し。

事件の謎を解く唯一の鍵になり得るのは、左手に書かれた「暗号」のみ。

しかし、これが被害者自身によって書かれたのか、犯人によって書かれたのか、一体何を意味するのかは未だに判明していません。

4 YOG’TZE

1984年、ドイツで食品技術者として働いていたギュンター・ストールは、34歳にして仕事をクビになります。

家庭のある彼にとってはこれだけでも大きな打撃ですが、さらに彼は、ある被害妄想に悩まされていました。

ストーカー

複数のストーカーからつけ狙われているという不安、そして、彼らが今にも危害を加えてくるという恐怖心を抱いていたのです。

1984年10月25日の夜、自宅で妻と夕食を食べながら、ストールはそのストーカーについて話していました。

その後、テレビを見ながら物思いに耽っていた彼は、突然何かを閃いたように「やっと分かった!」と叫ぶと、紙とペンを取って謎の文字列を書きます。

メモ

YOG’TZE

「G」が数字の「6」だとすると、車のナンバープレートの可能性もありますが、果たしてこれが何を意味するのかについては分かっていません。

そして、「ちょっと飲みに出かける」と妻に一言告げると、車で最寄りのバーへ。

午後11時頃に店に着き、そこでビールを飲んでから、再び車に乗って彼はバーを後にします。

バー

約2時間後、バーから10kmほど離れた、ストールの実家があるゼールザッハの町に到着。

それから、実家の近くに住む知人の家を訪れたようですが、その後の約2時間、彼がどこで何をしていたのかは定かではありません。

車

午前3時頃、ストールの自宅から約100km離れた道路脇で、側溝にはまっている事故車をトラック運転手が発見。

それはストールの車でした。

トラックを降りて近づいて行くと、車の側から、白いジャケットを羽織り、怪我を負った男が逃走。

何事かと思った運転手が車の中を覗いてみたところ、助手席には裸で血まみれ状態のストールが。

彼の左腕はほとんど胴体から離れそうなほどに負傷していました。

運転手は、とりあえず何があったのかストールに事情を聞きます。

彼の話によると、襲ってきた犯人は、バーでたまたま居合わせた、面識の無い4人の男であるとのこと。

男

ストールは直ぐ病院に運ばれましたが、間もなく死亡しました。

そして、警察の捜査により、ある意外な事実が判明します。

ストールの直接の死因は、彼の車が発見されたのとは全く別の場所で、全裸状態で車に轢かれたことだったのです。

それから犯人は、ストールの車の助手席に彼を座らせ、事故死に見せかけるべく側溝の中へ車を突入させたというわけです。

ストールを殺したのは、バーで彼と一緒にいた男たちである可能性が高いですが、ずっとストールをつけ狙っていたのも彼らなのか

そして、殺される前にストールが残した謎のメモと事件とは何らかの関わりがあるのか

結局、容疑者は一人も逮捕されておらず、これはドイツの犯罪史上で最も不可解な事件の一つとなっています。

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