復讐の鬼と化した人々5選

どうあっても許すことのできない相手に復讐するため、自分の人生の全てをかけた人たちをご紹介します。

1 準備に19年をかけた復讐

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1860年に米国コネチカット州ハートフォードで生まれたフランク・イートンは、8歳の時に父親を失います。

彼の父親は、地元の自警団に所属しており、意見の対立していた他の自警団員6人に殺されたのです。

そして、このときからフランクの復讐計画が始まりました。

彼はまず、父親の友人であるモーズ・ビーマンから銃の使い方を学びます。

「師匠」から射撃の基本的な技術を身に着けたフランクは、15歳になると、さらに腕を磨くためにオクラホマ州フォートギブスンへと渡って騎兵隊に志願

軍

しかし、年齢を理由に入隊を拒否され、その代わりに射撃の訓練を受けることだけ認められます。

いざ訓練が始まると、フランクは天才的な射撃の腕前で他の隊員を圧倒し、いつしか「ピストル・ピート」という二つ名を受けていました。

そして、20歳という若さで正式に保安官に任命され、彼はバッジと「大量の銃」を手に入れるのです。

それと同時に、父親を殺した6人に復讐するため、フランクは行動を開始。

1887年の時点で、5人を彼の世に送っていました。

残る一人は逃走を続けていましたが、ギャンブルに関連した揉め事が原因で、仲間に殺されたのです。

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2 狂った郵便配達員の復讐

郵便受け

復讐心というのは、時に「逆恨み」の場合があります。

米国オクラホマ州エドモンドに住む郵便配達員パトリック・シェリル(44)は、普段から勤務態度に問題のある人物でした。

1986年8月19日、彼は仕事のことで二人の上司から叱責され、遂に「解雇」をほのめかされてしまいます。

その翌日の朝7時ごろ。

シェリルはいつものように制服を来て職場に現れます。

ただ一つ、いつもと違っていたのは、彼は3丁の銃を携え、普段はハガキや封筒を入れている郵袋に、弾丸をギッシリと詰めていたこと。

銃

シェリルはまず、自分をクビにしようとした二人の上司のうち、片方を見つけ出して発砲

続けてもう一人の上司にも復讐の弾丸を撃ち込むべく、郵便局内を探し回ります。

このとき、建物の中にいた従業員は約100人

途中、行く手を阻む者には容赦なく引き金を引いていました。

凶行が開始されてから約15分が経過しても、二人目のターゲットは発見できず、そうこうしている内に警察が到着

この時点でシェリルは14人の従業員を殺害し、6人に怪我を負わせていました。

実は、もう一人の上司は寝坊したために出勤していなかったのです。

そして、最後に彼が銃口を向けた相手は自分自身


ちなみに、英語では「気が狂う」ことを意味する表現に

go postal

というのがありますが、それはこの事件がきっかけで生まれたとされています。

3 無関係な子供を犠牲にした復讐

子供

インドにおける性犯罪の多さ、その残忍さは世界的に知られています。

警察はもはやアテにならず、女性は自分で自分の身を守らねばなりません。

そのために、女性でも扱いやすいように軽量化された拳銃が販売されるようになりました。

ちなみにその銃の名前は、性犯罪の犠牲になった、ある被害者の名前から付けられています。

この銃を使って犯人を亡き者にしようとした人もいるでしょう。

しかし、犯人に対する復讐心は、必ずしも犯人自身を殺害することにつながるとは限りません。

2015年10月、ある性的暴行事件の被害者となった13歳の少女は、自分を襲った犯人を地獄の底に突き落とすべく、彼にとって最も大切な存在を奪う計画を立てます。

彼女は、その犯人の5歳の息子を人気の無い場所に誘い出し、そこで殺害したのです。

後に警察が死体を発見したとき、その状態はあまりにも酷い有様だったとか。

彼女はその後、少年院に送致されています。

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4 妻を殺された不死身の保安官の復讐

保安官

1960年代に米国テネシー州マクネアリー郡で保安官として働いていたビュフォード・パサーは、正義感の塊のような男で、犯罪者を捕えるための執念は凄まじいものがありました。

ディクシー・マフィア」という呼称で恐れられていた犯罪組織にも果敢に立ち向かい、住民からは正にヒーローとして称賛されていたのです。

それだけに敵の数も多く、彼は少なくとも6回、暗殺者による襲撃を受けています。

普通の人なら命がいくつあっても足りない状況に何度も陥りながら、彼は必ず生還しました。

しかし、1967年8月12日、彼の運命を変える事件が起こります。

ビュフォードが妻のポーリーンを乗せて車を運転していると、いきなり黒いキャデラックが接近し、中から男たちが無数の銃弾を撃ってきました。

車

ポーリーンは即死

ビュフォードは顔面に2発の弾丸を食らった他、全身に重傷を負いました。

その後、驚異的な回復を見せ、無事に退院したビュフォードは独自に捜査を開始。

妻を殺した犯人がディクシー・マフィアの一味であることを突き止めます。

そして、ビュフォードが任期を終えた後、ポーリーン殺害に関与したと思われる人物が、次々と死体で発見されることとなるのです。


彼の名声は高まる一方で、その生き様は映画や本でも取り上げられました。

しかし、1974年8月21日、ビュフォードは新車のコルベットに乗って自宅に戻る途中、車道を外れて衝突事故を起こし、死亡しました。

警察は交通事故として処理しましたが、ビュフォードの死を願う者が、彼の車に細工を施したという見方も有力です。

5 12年間の沈黙を守った復讐

子供

インド在住のアラム・カーンは、2003年に父親を目の前で殺害されました

その時、彼は12歳

犯人は、父親の友人であるムハンマド・レイス。

カーンはこのとき以来、レイスに対する復讐が頭から離れませんでした。

それから12年後

2015年12月某日、24歳になったカーンは、酒を振る舞うという口実でレイスを家に招き入れます。

音

呑気に酒を口にしているレイスを尻目に、カーンは音楽のボリュームを最大に

彼にとって、「12年」の間、復讐心を絶やさずにいたという事実は相当に大きいものだったのでしょう。

カーンは、1年ごとの憎しみをレイスの体に叩き込みました。

ナイフ

数日後、近くの川でビニール袋に入った死体が発見されます。

それは、ちょうど12個に切断されていました。

目撃者からの情報により、警察はすぐにカーンを逮捕。

そのときの彼は、容疑を全面的に認め、非常に満足気な表情だったとか。

ちなみに、カーンは12歳のときに目の当たりにした惨劇のことを、決して誰にも話しませんでした

それは、すべてこの復讐を確実に成功させるためだったのです。

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