最も凶悪な女5選

周りに絶望と死をもたらす恐るべき女をご紹介します。

1 付き会った男を片っ端から消していく女

毒

19世紀末にルーマニアのブカレストで生まれたヴェラ・レンツィは、周りに言わせると、「誰もが認める美人だが、独占欲が強くて嫉妬深い」女性だったとか。

そんな彼女は19歳のときに裕福な銀行マンと結婚し、ロレンソという子供をもうけます。

しかし、自分が浮気されているのではないかという猜疑心が暴走し、夫に毒を盛りました

二人目の結婚相手は、たった数ヶ月の結婚生活の後に「行方知れず」に。

この時点でレンツィは結婚というもの自体に幻滅していましたが、男性と付き合うことは止めませんでした。

そして、彼女と付き合う男性は、しばらくすると決まって忽然と姿を消してしまうのです。

そんな不可思議な事件が何件も発生するうち、遂に捜査の手がレンツィに及びました。

警察が最も関心を寄せていたのは、彼女に殺されたはずの男たちの死体は一体どこにあるのかという点。

その答えは、レンツィの家のワイン貯蔵庫にありました。

ワイン

そこには、32人の死体がそれぞれ棺桶に収まった状態で保管されていたのです。

動かぬ証拠が出たことで、彼女は警察にすべての殺害について自供。

その際、彼女の犯罪に感づいた息子のロレンソを殺していたことも明かしました。

レンツィは後の裁判で終身刑が言い渡され、服役中に脳出血で死亡しました。

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2 絞めずにはいられない女

子供

1874年にフランス北部の小さな漁村で生まれたジャンヌ・ウェーバーは、19歳で結婚し、3人の子供がいました。

しかし、そのうちの2人が1905年に死亡。

さらに、同年3月、3人目の子と、彼女が一時的に預かった子供の計4人が次々と不可解な死を遂げます。

この4人の死体には、首を絞められたような跡があったのですが、何故か検死の際に見落とされてしまうのです。

同年4月5日、義理の姉がウェーバーの家を訪れ、10歳のモーリスを彼女に預けて買い物に出かけました。

そして、予定よりも早めに帰ってくると、そこでは取り憑かれたような表情のウェーバーが、瀕死のモーリスを前にして立ち尽くしていたのです。

その後、ウェーバーは、自分の子を含む8人の子供を殺害した容疑で裁判にかけられます。

ところが、1906年2月、有能な弁護士の活躍によりウェーバーは無罪に。

ジャンヌ

ウェーバーの事件を報じる新聞

ウィキペディアより)

彼女はそれからベビーシッターとして仕事を始め、偽名を使って職場を転々としました。

ある勤務先で、彼女が世話をしていた10歳の子供が死亡

また、別の勤務先では、子供の首を絞めているところを目撃され、クビになったこともありました。

1908年、宿泊している宿屋で、ウェーバーはまたもや子供の首に手をかけます。

その現場を、宿屋の主人でもある父親が発見し、彼女に顔面パンチを3発食らわせて子供を引き離しました。

しかし、残念ながらその小さな体は既に冷たくなっていたのです。

この直後にウェーバーは逮捕され、精神鑑定の結果、病院に身柄を移されますが、1910年に自ら首を吊って死亡しています。

3 死の天使

天使

1950年生まれのジニー・ジョーンズは、米国テキサス州サンアントニオの病院で、小児科看護師として働いていました。

そして、彼女が勤務するようになってから、病院内で奇妙な現象が起こるようになります。

幼児が次々と死んでいくのです

しかも、入院するきっかけとなった病因とは全く関係のない理由で死亡しているケースが目立ちました。

不審に思った看護師が独自に調べてみると、謎の死亡例は、ジョーンズが担当している患者に集中していることが発覚。

子供

1985年、生後15ヶ月の子を殺害した罪でジョーンズは遂に有罪となり、懲役99年が宣告されます。

しかしながら、彼女が実際に殺した人数は恐らくもっと多いはずで、40人は下らないのではないかとも言われているのです。

そんなジョーンズについたあだ名が、「死の天使」。

彼女は現在も服役中ですが、テキサス州の法律により、2018年には釈放される可能性が濃厚となっています。

これを阻止すべく、ジョーンズに子供を殺されたと信じる遺族たちが、フェイスブック上で声をかけあって活動を開始。

実は、ジョーンズがあと一人でも子供を殺害した事実が立証されれば、彼女は一生刑務所から出られなくなるのです。

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4 死神と呼ぶべき女

花

1905年米国アラバマ州ブルーマウンテンで生まれたナニー・ドスは、何度も結婚・離婚そして「殺人」を繰り返していました。

最初の結婚は16歳のとき。

夫婦仲は決して良くなかったようですが、4人の子供をもうけます。

しかし、真ん中の娘2人が「食中毒」にかかり、それが元で死亡。

何かヤバイことが起きていると感じた夫が、長女を連れて家を出ます。

ちなみに、危険を感じつつも末っ子を置いていった理由は謎です。

1929年にナニーは再婚し、この結婚生活は16年間つづきました。

この間、幼い孫2人が死亡

1945年、おそらくは毒殺により夫が死亡

3度目結婚のときには、夫が突然の心不全で死亡し、また、彼の母親は寝ている最中に亡くなりました。

その直後、二人の家が全焼し、それによりナニーは多額の保険金を手にします。

骸骨

住む場所が無くなった彼女は、病気を抱える妹の家に転がり込むことに。

ナニーがやって来て間もなく、その妹が死亡

4度目の結婚では、一緒に暮らすことになった自分の母親が死亡

5度目の…と、その前に、4人目の夫も毒殺されています。

5人目の夫が死亡したとき、その体内に大量のヒ素が含まれているのを医師が発見し、遂に、ようやっと、ナニーは逮捕されました。

驚くなかれ、そのヒ素の量たるや、余裕で20人を殺せるほど

結局、ナニーが命を奪った人の数は、合計11人

警察の取り調べの最中、彼女はずっと笑顔で、自分の悪行に後悔している様子はまったく無かったとか。

裁判で終身刑を食らったナニーは、1965年に獄中で死亡しました。

5 地獄の晩餐

チキン

1955年にオーストラリアのニューサウスウェールズで生まれたキャサリン・ナイトは、かなり複雑な家庭環境で育ちました。

彼女は、母親のバーバラとその浮気相手であるケン・ナイトの間に出来た子で、11歳まで家庭内で虐待を受けていたのです。

子供

学校では完全に孤立し、他の生徒には極めて攻撃的でした。

15歳のとき、読み書きの能力も不十分な状態で、キャサリンは学校を中退

その後、自分の夢だった道に進みます。

それは、食肉処理場で思う存分に肉をぶった切る仕事。

肉

キャサリンの腕前の上達ぶりは凄まじく、自分専用の肉切り包丁を与えられるほどだったとか。

彼女はそれを、寝室のベッドのそばに常に置いていたそうです。

キャサリンは何度か結婚していますが、平和的な結婚生活とは無縁でした。

彼女は一旦ブチ切れると、手に負えなくなるほど異常な行動に出るのがその理由。

斧

あるときには、幼い我が子を線路上に放置したり(偶然見つけたホームレスが救出)、また、斧を振り回しながら街を練り歩いたりしたこともありました。

キャサリンの最後の結婚相手となるジョン・プライスは、彼女の恐ろしい一面を知っていたので、職場の同僚には、

「もし俺が無断で欠勤したら、妻に殺されたと思ってくれ」

と語っていたとか。

そんなプライスは、2000年3月1日に無断欠勤します。

心配になった同僚が、彼の家を訪れて何度もドアをノックしますが、返事は無し

午前8時ごろ、通報を受けて駆けつけた警察官が裏口のドアを壊して中に入ってみると、大量の錠剤を飲んだと思しきキャサリンが昏睡状態で倒れていました。

そして、彼女が愛用していた肉切り包丁には血液が付着

食卓には2人分の食事が用意されており、それらのそばには、プライスの子供たちの名前が書かれたメモが置かれていました。

肉

奇妙なことに、キャサリンが自分のために作ったと思われるもう一人分の食事は、何故か裏庭に投げ捨てられていたのです。

おそらく、口に入れた瞬間、投げ捨てたくなるほどに不味かったのでしょう。

なにしろ、肉の扱いには慣れている彼女でさえ初めてとなる「肉」を、肉切り包丁で切り分けて調理した食事ですから。

彼女はもはや、いつも仕事場で目にしているモノと、自分の夫との区別すらつかなくなっていたのかも知れません。

2001年、キャサリンは、オーストラリアで初めて仮釈放なしの終身刑を宣告された女性となり、現在も服役中です。

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