死体を盗む人々5選

驚くべき理由で死体を盗んでいた人々をご紹介します。

窃盗事件を伝えるニュースは日常的に目にしますが、死体を盗んだ犯人が捕まる、などという事件はまずありません。

現在の日本では、特殊なケースを除けば、死体は火葬されるのが普通ですから、そもそも盗む対象となる死体が無いわけですが…。

一方、海外で土葬の習慣がある国においては、墓地から死体を盗む不届きな輩が稀に現れます。

一体、彼らはどんな目的があって死体を持ち去るのか。

その背景には様々な事情があるのです…。

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1 リンカーンの死体を盗もうとした男

リンカーン

1876年、米国イリノイ州のオークリッジ墓地に、真っ白な大理石の棺が安置されました。

その中にあるのはエイブラハム・リンカーンの遺体。

棺のある部屋の扉は、南京錠で施錠されているものの、それ以外に侵入者を阻止する要素は何もありません。

かなり甘いセキュリティですが、好んで死体を盗む奴などおるまいという考えが根底にあったのなら、それも無理はないでしょう。

しかし、実際には死体を盗もうとした人物がいました。

それが、当時シカゴに拠点を置いていたギャングのボス、ビッグ・ジム・ケナリー

ボス

彼は、リンカーンの死体に興味津々だったのではありません。

ケナリーの仲間の一人が通貨偽造の罪(懲役10年)で服役しており、その囚人を釈放させるための手段として利用するつもりだったのです。

具体的には、死体の返還と引換えに仲間の釈放を要求する腹積もりでした。

ケナリーは、ミューレンとヒューズという二人の手下に死体を盗んで来るよう命じます。

ただ、この二人は窃盗の経験がほとんど無かったため、念のために彼らは新たに仲間を一人雇うことに。

しかし、運の悪いことに、彼らがたまたま雇った男は、身分を隠した偽札調査官だったのです。

これにより、彼らがリンカーンの死体を盗む計画は、細部に至るまで政府機関にダダ漏れでした。

おまけに、計画の実行当日、リンカーンの棺を前にしたミューレンとヒューズは、蓋が重すぎていくら力を入れても微動だにしないので途方に暮れます。

その直後、近くに刑事たちがいるのを察知した彼らはその場から逃走しましたが、数日後に逮捕されました。

2 驚愕の死体コレクション

部屋

ロシア在住の自称「歴史研究家」であるアナトリー・モスクヴィン(45)は、自宅に20体以上もの遺体を保存していた奇妙な男です。

あるとき、モスクヴィンの両親が、彼の住むアパートをたまたま訪れた際、「死体コレクション」を発見してしまいました。

それらは全て15歳から25歳までの女性の死体で、彼が墓地から盗んでいたのです。

モスクヴィンは、死体が身につけているものを自分好みの服に着替えさせ、まるで人形のように着飾った状態にしていました。

人形

お洒落な死体に囲まれながら、自分の誕生日パーティーを開くことも。

意外なことに、彼はこの不気味な事実を特に隠してはおらず、執筆中の本に必要な「研究」の一環であると公言していたのです。

墓地

死体を集めるために、モスクヴィンは国内を行脚して約750もの墓地を訪れていました。

時には、死体そのものではなく、衣服だけを剥ぎ取って持ち帰ることもあったとか。

13ヶ国語を話せる天才とも言われていたモスクヴィンは、2011年に両親の通報により逮捕され、裁判にかけられます。

しかし、鑑定の結果、彼の精神面は非常に不安定であると判断され、刑事責任能力は認められませんでした。

ちなみに、モスクヴィンが異常なほど女性の死体に執着するきっかけを作ったのは、彼が12歳のときに参列した葬儀

そこで彼は、周りの大人に指示されて、11歳で亡くなった少女の遺体の頬にキスをしたのです。

3 チャップリンの遺体を「人質」に

チャップリン

1978年、スイスのコルシエ=シュル=ヴヴエにある墓地から、喜劇王チャーリー・チャップリンの遺体が盗まれました。

その直後、彼の妻ウーナが犯人からの電話を受けます。

その内容は、遺体を返してほしければ、60万ドル払えというもの。

つまり、犯人は死体を「人質」にとって金を要求したのです。

札束

これに対し、ウーナは支払いを拒否。

理由は、もし夫が生きていたら、こんな馬鹿げた要求など黙殺するだろうと考えたからです。

犯人は、その後もしぶとく脅迫を続けましたが、ウーナの態度は変わらず。

約5週間におよぶ捜査の末、犯人の二人の男が逮捕されました。

犯行の動機は、兎にも角にも、まとまった金が必要だったから

その後、裁判で実刑判決が下されています。

彼らが盗んだチャップリンの遺体はトウモロコシ畑で発見・回収され、再び埋葬されることに。

その際、チャップリンの遺族は、遺体の上から土を被せるのではなく、コンクリートを流し込むことで、同様の犯行を企てる者が現れないようにしたそうです。

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4 死体を盗んで人命救助

脈拍

墓地から死体を盗むといった、遺族の感情を踏みにじる行為が、死んだはずの当の本人を復活させてしまった珍しい例があります。

1824年4月15日、ジョン・マシンティアという男性は、医師によって死亡が確認されたのですが、実は微かに意識が残っていました

外見上、身体は全く動いていないにも関わらず、死んではいなかったのです。

しかし、周りの人たちは彼が既に死んでいるという認識しかないため、その「遺体」を棺の中に収め、その後、当然のように葬儀が行われました。

その間も、聞こえてくる音を手掛かりに、マシンティアには自分が今どういう状況に置かれているかがおおよそ分かっていたそうです。

棺

その後、棺は地中に埋葬されました。

このままでは本当に死んでしまうと焦っても、自分の意志で体が動かせないため、マシンティアは棺から出ようにも出られません。

すると、何やら土を掘る音が…

続いて、何者かが棺の蓋を開け、マシンティアを別の場所に運び始めました。

彼の体は台の上に置かれ、その周りを医師と学生たちが取り囲みます。

おそらく彼らは医学部の実習で使用するために死体を盗んでいたのでしょう。

ナイフ

そして、医師がメスを手にした次の瞬間、胸の辺りを切り裂かれるような感覚によってマシンティアは完全に意識を取り戻しました

驚いた医師は、すぐにマシンティアに蘇生処置を施し、彼は一命を取り留めたのです。

5 ニューヨーク・ホスピタルの暴動

病院

ウィキペディアより)

18世紀後半、ニューヨーク・ホスピタルでは、研究に必要な死体を確保するために、近くの墓地から死体を掘り起こし、病院に運んでから四肢を切断するということが日常的に行われていました。

死体は、そのほとんどが低所得者層の人たちのもので、病院側にとっては、墓地から盗むのが最も安上がりかつ確実に死体を入手する方法だったのです。

1788年4月、医学部生だったジョン・ヒックスが、病院の外で遊んでいる子供たちに向かって、切断された腕を持って窓から手を振りました。

手

そのとき、彼が一人の男の子に対して言った台詞が、

「この腕は、最近亡くなった君の母親の腕さ」

男の子はすぐに自宅に戻り、父親にそのことを報告します。

父親が妻の墓を掘ってみると、そこにあるはずの遺体が消えていました

この事実は付近の住民の間に一気に広まり、怒り狂った群衆が病院へと押し寄せます。

建物の中に侵入した彼らは、そこで自分たちの身内の遺体が無残に切断されているのを発見。

これにより、その場にいる住民たちは完全に暴徒と化します。

身の危険を感じた医師や学生たちはすぐさま逃走し、適当な場所に身を隠しました。

この暴動は数日間続き、暴徒の規模は2000人にまで増加。

彼らの怒りの矛先は、主にジョン・ヒックスに向けられていました。

最終的に、民兵が動員されたことでようやく事態は収拾します。

結局、この暴動で20人以上が死亡したと見られています。

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