最も凶悪な子供5選

大人が震え上がるほどの恐るべき犯行に及んだ子供たちをご紹介します。

残忍な犯罪というのは、多くの場合大人によって行われますが、ときにはそういう常識が通用しない事件も起こります。

猟奇的な殺人事件が発生し、それだけでも社会にとって大きな衝撃なのに、犯人が逮捕されるとそれが子供であることが分かってさらに世間を驚かせる。

こういった事件は海外だけでなく、もちろん日本でも例があります。

子供が殺人を犯した場合、世間の注目は犯行の動機に集中しますが、その解明はなかなか一筋縄ではいきません。

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1 毒薬マニア

毒

1947年9月7日にロンドン北西部のニーズデンで生まれたグラハム・ヤングは、幼い頃から毒物に対して異常に強い関心を抱いていました。

毒の効果を実際に確かめたいという衝動が抑えきれず、彼は飲食物に様々な毒薬を混ぜ、父親、数多くの友人を体調不良にさせていたのです。

1962年4月26日、グラハムは遂に殺人を犯します。

彼は紅茶の中に毒薬を混ぜ、それを義理の母親が飲んだのです。

紅茶

普段からグラハムの行動に不審な点を感じていた叔母の通報により、彼はすぐに逮捕されます。

その後、グラハムはブロードモア病院に入れられるのですが、約9年後の1971年2月、退院を許可されることに。

元の生活に戻ったグラハムを待っていたのは、相変わらず人に毒を盛りたいという欲求でした。

それから彼は実に70人に毒を飲ませ、そのうち2人が死亡。

1971年11月21日、グラハムは再び逮捕されます。

そして1990年8月1日、彼は刑務所の中で心臓発作によりこの世を去りました。

2 母親への復讐

銃

1964年8月27日、カリフォルニア州バーバンク在住で、当時15歳だったエドマンド・ケンパーが、ライフルで祖父母を射殺し、逮捕されます。

警察から犯行の動機を尋ねられたエドマンドはこう答えました。

「祖母を殺したときの感覚が知りたかった」

また、祖母だけでなく祖父をも殺害したのは、妻の死を知って激怒した祖父とのトラブルを避けるためだったとか。

後にエドマンドは妄想型統合失調症と診断され、病院に入れられます。

しかし、彼は担当の医師に症状が改善したと信じ込ませ、1969年12月18日、わずか5年の入院生活を終えて退院します。

このとき、エドマンドは21歳

そしてこの後、女性6人自分の母親、そして複数の友人を次々と手にかけ、自首しました。

これらの凶行に及んだ理由について、エドマンドは、自分を虐待していた母親への復讐であったと答えています。

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3 死のリスト

リスト

マイケル・ヘルナンデスという14歳の少年は、連続殺人鬼という存在そのものに憧れを抱いていました。

彼は、自分が殺害のターゲットとする予定の人物をリストに書いていたのです。

2004年2月3日、フロリダ州マイアミにある中学校で、マイケルはクラスメートの一人を男子トイレに誘い込み、そこで殺害。

そして、何食わぬ顔で教室に戻ってきました。

彼の計画では、その後もリストに従って犯行を続ける予定でしたが、2人目の犠牲者が出る前に逮捕されます。

捜査の過程で「死のリスト」の内容が明らかになり、その中にはマイケルの実の姉の名前もあったとか。

後の裁判で、彼は終身刑を言い渡されています。

4 過酷すぎる家庭環境

子供

2011年、当時13歳だったクリスチャン・フェルナンデスという少年が第一級殺人で有罪になります。

彼は、5歳の弟に暴行を加え、2歳の弟を殺害したのです。

あまりに残酷な犯行手口だったため、その年齢にも関わらず成人としての裁判が行われました。

この事実だけからだと異常な殺人者にしか思えませんが、フェルナンデスは普通では考えられない壮絶な子供時代を過ごしていたのです。

彼が生まれたとき、母親はわずか12歳

父親は、彼女を「襲った」犯人です。

道

フェルナンデスが2歳のとき、彼は、何日も風呂に入っていない裸の状態で、南フロリダの通りをさ迷っているところを発見されます。

母親の行方は分からず、彼の面倒は祖母が見ていましたが、その祖母も重度の薬物中毒でした。

従兄弟と義理の父親から執拗な虐待を受け、義理の父親の方は捜査の手が及ぶ前に自殺。

2013年8月、司法取引が成立したことによりフェルナンデスには未成年者としての刑が科され、19歳まで少年院で過ごすこととなりました。

5 メアリー・ベル

子供

1957年5月26日、イングランドのニューキャッスルで、娼婦をしていた17歳の母親から生まれたメアリー・ベルは、母親とその「客」から継続的に暴行を受けていました。

父親が誰なのかは未だに判明していません。

1968年5月25日、ちょうど11歳の誕生日を迎える前日、メアリーはスコッツウッドにある廃墟と化した空家の中で4歳のマーティン・ブラウンを殺害。

家

その後、彼女は友人のノーマ・ジョイスとともに地元の学校に侵入し、中で破壊の限りを尽くします。

同年7月31日、その学校の近くにある荒れ地で、メアリーはノーマの協力を得て3歳のブライアン・ハウを殺害。

その殺害の具体的方法は、常人の理解をはるかに超えた残忍さだったとか。

1968年12月17日、メアリーは殺人罪で有罪となり、完全なサイコパスであると認定されました。

裁判の後、施設で12年間を過ごした彼女は、1980年に23歳で自由の身となります。

それと同時に、彼女には社会復帰のために全く新しい名前・経歴が与えられました。

これはつまり、現在もメアリーはどこかで普通の一般人として生活していることを意味しています。

ちなみに、裁判で有罪判決を受けたあと、彼女は周りにこう語っていたそうです。

「殺人はそんなに悪いことじゃない。人は皆いつか死ぬんだから」

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