事件の目撃者を待つ過酷な運命8選

凶悪な事件を目の当たりにしてしまったら、どんな生活を送ることになるのか…。

事件現場における犯人の姿や、犯行の様子などを、記憶している限りで正確に法廷で話せば、被告人を有罪に出来る確率はかなり上がるでしょう。

仮に、自分自身も被害者であるなら、決定的な証言をすることで、憎き犯人に対する復讐も果たせます。

ただし、証言台に立つのは、場合によってはかなり危険を伴う行為になりうるのです。

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1 命を狙われる危険

銃

マフィアのような犯罪組織に対して不利な証言をする場合、命を狙われる危険があるのは誰でも容易に想像がつきます。

しかし、単純な窃盗を犯した単独犯を相手にするような場合でも、決して安全とは言い切れません。

どんな事件にせよ、目撃者として裁判で証言台に立つつもりなら、犯人やその仲間に襲われる可能性は無視すべきではないのです。

そして、重要な目撃者をそのような脅威から守るべく、アメリカでは1970年に「証人保護プログラム」が施行されました。

2 転居を余儀なくされる

家

証人保護プログラムが適用されると、連邦保安局の人間が自宅にやって来て、目撃者本人だけでなく、その家族も全員別の場所へと移します。

移転先はワシントンDCの近辺であると言われており、また、爆弾による攻撃にも耐えうる堅牢な住居が用意されているとか。

3 身分を変えて別人になる

マネキン

保護された目撃者は、名前(通常は姓か名のどちらか)を変えられ、新たな社会保障番号出生証明書が与えられます。

多くの場合、それまでの仕事も辞めざるをえません。

さらに、子供の場合は、学校の成績証明書も、新しい名前に合わせて作り直されるのです。

その際、驚くことに、元の成績に下駄を履かせてくれるように頼む親もいるとか。

算数

しかし、残念ながら、そんな要求は却下されます。

こうして全くの別人としての身分を手に入れた以上、当事者にはそれを維持する義務があります。

例えば、恋人が出来たとしても、その相手に自分の過去の素性などを語ってはいけません。

このような制約が課されるのは、大人だけでなく、子供も同じこと。

ただ、小さな子どもにとっては、自分の過去のアイデンティティーを捨てるというのは理解が難しく、かなりのストレス要因になるようです。

4 職探し

仕事

証人保護プログラムは、目撃者が新たな人生をスタートするための支援はしてくれますが、これは勿論、国からの補助金でいつまでも生活できるということではありません。

なるべく早い段階で改めて仕事を見つけ、生活の手段を自ら確保せねばならないのです。

前の名前」で負っていた債務も、帳消しになることはなく、依然として弁済の義務は残ります(ただし、借金取りが自宅に押しかけてくる可能性は極めて低くなるでしょう)。

5 精神的な負担

男

こうして見てくると、新たな人生を始めるのは、決して容易いことではありません。

特に、事件と何ら関わりの無い一般人が、証人保護プログラムの対象となった場合、精神的に大きな負担となる可能性があります。

実際にこのプログラムを経験した人の中には、

「罪を犯した人間よりも強い罰を受けている気分になる」

と語る者も少なくないそうです。

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消えた目撃者たち

連邦保安局の発表によれば、これまでに18000人以上が証人保護プログラムによって身の安全を確保されており、彼らのうち、保護中に何らかの危害を加えられた者は一人もいないそうです。

では、証人保護プログラムを受けなかったらどういう結末になりうるのかというと…。

6 知らずに盗難車を買った教師のケース

車

1983年1月、米国メリーランド州ボルチモアで教師をしていたオリバー・マンソンが、とある店で中古車を購入したところ、その2ヶ月後に警察が自宅を訪ねてきました。

警察の話によると、彼が中古車を買った店のオーナーであるデニス・ワトソンは、車の窃盗グループのリーダーであるとのこと。

ワトソンは、盗んだ車を中古車として販売しており、マンソンが購入した車もやはり盗難車でした。

警察からの要請を受け、彼は、証人として出廷することを了承します。

裁判

しかし、1984年2月13日、ちょうど証言台に立つ3日前の朝、勤め先の学校へ車で向かう途中で、マンソンは忽然と姿を消しました

その失踪から3日後、自宅の近辺で彼の車が乗り捨てられているのが発見されます。

続いて、公園の近くで別の盗難車も発見され、その中には血痕と、銃のカートリッジが残されていました。

状況から判断して、恐らくマンソンは、誘拐された後に殺されたと見られていますが、未だに死体は見つかっていません。

7 成績抜群の大学生のケース

知識

アメリカのミシガン大学に通っていたヘンリー・ボルチモア・ジュニア(21)は、成績優秀で、将来を嘱望された学生でした。

1973年3月、そんな彼が、思わぬ災難に遭います。

ヘンリーが自宅のアパートにいるとき、二人組の男が押し入り、彼をベッドに縛り付けると、現金110ドルと金目の物を数点奪って逃走したのです。

ロープ

その後、容疑者の一人であるロイ・デイヴィスが逮捕され、彼の予審(裁判の必要性などを事前に確認する手続き)において、ヘンリーが証言することになりました。

しかし、予定されていた日にヘンリーは欠席。

しかも、その数日後に彼は、おそらくは恐怖心から、捜査を打ち切るように警察に懇願したのです。

警察はこの申し出を拒否し、改めて予審の日取りを決定しました。

ところが、5月20日、ヘンリーが裁判所に現れるはずの日の2日前に、彼は行方不明になります。

寝室

彼のルームメイトの話によれば、ヘンリーは図書館に行くと言ってアパートを出て行ったまま帰って来なかったとか。

こうなると怪しいのはデイヴィスですが、彼にはヘンリー失踪時のアリバイがありました。

ヘンリーが何者かに消されたのではないとすると、単純に彼は、証言をするのが怖くなって一時的に身を隠しただけとも考えられます。

しかし、後にデイヴィスの有罪が確定し、彼が刑務所に収監されてからも、ヘンリーは一向に姿を現さず、失踪から40年以上が経った今も、彼の消息は分かっていません。

8 ケネディ大統領暗殺の目撃者のケース

ケネディ

1963年11月22日に起きたケネディ大統領暗殺は、事件発生から半世紀以上が過ぎた今も、真犯人の正体に関して多くの謎が残っています。

そして、この事件における極めて重要な目撃者が、リー・バワーズ・ジュニアという男。

ダラス市内にあるディーリー・プラザでパレードを行っている最中のケネディ大統領が銃殺された瞬間、リー・バワーズは、2階建ての建物から事件現場全体を視界に収めていました。

彼の目撃証言によると、暗殺の起きる少し前、大統領が撃たれた場所からやや離れた駐車場脇に、怪しげな男が二人立っていたとのこと。

男

二人のうち、一人は中年で、ガッシリとした体格に白いシャツ姿

もう一人は、20代半ばで、格子縞のジャケット姿

大統領が殺害されたとき、二人が立っている場所で、一瞬何かが光って煙のようなものが見えたとか。

その直後、バイクに乗った警察官が彼らの元にやって来て、すぐに去って行ったそうです。

ケネディ暗殺の犯人は、リー・ハーヴェイ・オズワルドであるとされていますが、この証言が確かなら、それが覆される可能性があります。

道

1966年8月9日、会社が所有する新車に乗ってダラス市から南に走行中、リー・バワーズの乗った車が、突然道を外れて橋台に激突し、しばらく後に彼は死亡。

警察は、彼の死はあくまで事故によるもので、事件性は無いと判断し、検死は行いませんでした。

ただ、事故の直後に救急車の中でリー・バワーズの状態を確認した医師は、ある不可解な点を捉え、気になる発言をしています。

「この男性は、奇妙なショック状態に陥っていたと思われる。こういう例は今まで見たことが無い」

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