死刑執行人の知られざる真実5選

一国における収監者数が世界一というアメリカで、死刑執行人はどのような日常を送り、何を考えるのか。

1 報酬が必ず現金で支払われる理由

金

当然と言えば当然ですが、死刑執行人は毎日フルタイムでその仕事をするわけではありません。

死刑が行われるときが来たら、数名からなるチームが準備を整えて執行します。

その度に支払われる報酬は、たいてい封筒に入った現金で支払われるのです。

理由は、本人の匿名性に配慮して、この仕事をしていることがなるべく第三者に漏れないようにするため。

1900年代前半は、新聞記者が記事のネタにするべく、執行人と思しき人物を執拗に追い回すことも珍しくありませんでした。

ニューヨークで1926年まで死刑執行人として働いていたジョン・ハルバートは、自分のプライバシーを守るために最大限の注意を払い、取材等は一切受けず、写真も撮らせず、また、誰とも握手さえしなかったとされています。

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2 常軌を逸したストレス

ストレス

そのハルバートは、死刑執行人の仕事をするようになってから、どこへ行くにも必ず銃を携帯するようになりました。

死刑囚とつながりのある者から突然襲われるのではないか、という恐怖心に苛まれていたからです。

また、死刑を執行する日の夕食は、毎回同じレストランで同じ料理を注文し、同じウェイターに運ばせていました。

これは、食べ物に毒を盛られるのを避けるため。

死刑執行人という仕事を続けることから来るストレスは徐々に彼の心身を蝕んでいき、あるとき彼は死刑を執行する直前に気を失い、病院に運ばれました。

この仕事を辞めたとき、既に140人以上を処刑していたハルバートは、

人を殺すのはもうウンザリだ。

と語ったそうです。

そして引退から3年後の1929年、彼は自宅の地下室で銃を使って自殺しました。

憂鬱

彼のように、精神的な重圧に苦しめられる例は他にもあります。

テキサス州で死刑執行人の仕事をしていたフレッド・アレンという男性は、その仕事を辞めてから数年後、販売店での勤務中に何の前触れもなく涙が止まらなくなりました

過去に自分が死刑を執行した全ての者たちに関する記憶が、脳の奥底から一気に噴出し、急に涙が溢れ出して感情をコントロール出来なくなったそうです。

3 命の恩人に死刑を執行

死

ジョン・ハルバートとは逆に、死刑を執行することに何ら抵抗を感じない人も中にはいます。

オクラホマ州でこの仕事に就いていたリッチ・オーウェンスは、1918年から1948年までで65人に死刑を執行していますが、驚くべきはそれとは無関係に、すなわち個人的に、彼は生涯で10人を殺害しているのです。

最初の殺人は13歳のとき。

相手は父親の馬を盗もうとした男でした。

また、刑務所で勤務していたときには、ナイフを使ってオーウェンスを盾にしながら脱獄を図った囚人2人を殺害

これらを含め、10件の殺人の全てで彼は最終的に無罪になっています。

あるとき、彼は刑務所内で囚人6人から襲撃されるのですが、一人の死刑囚がその連中を実力で排除し、オーウェンスの命を救います。

暴動

その後、彼はその死刑囚の死刑を執行

もちろん、これが彼の仕事ですから、そこに私情を挟む余地はありません。

しかし、オーウェンスはかつて新聞記者にこう語っていました。

罪を犯した連中を処刑するのは充実した仕事だ。

奴らがやらかしたことを考えれば、君もそれが理解できるだろう。

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4 不完全な死刑執行

注射

現在は、なるべく死刑囚に苦痛を与えない手段で処刑が行われるのが普通です。

しかし、場合によっては予定通りに事が運ばず、無用の苦痛を与えてしまうこともあります。

2014年4月29日に行われた、クレイトン・ロケットに対する薬殺による死刑執行がその好例です。

最初に鎮静薬を使って死刑囚を意識の無い状態にするはずが、医師の誤った判断により、まだ意識のある状態で致死性のある薬物が投与されました。

このため、クレイトンは激しい苦痛にもだえながら最期の時を迎えることとなったのです。

このような予想外の事態は、人為的なミスによって生じることもあれば、それ以外の要因で発生することもあります。

人為的なミスとは言い切れない例として、1890年8月6日、ニューヨーク州のオーバーン矯正施設において初めて行われた電気椅子による処刑があります。

このとき、約17秒間電気ショックが与えられ、これで全て完了するはずでしたが、その後も死刑囚の体がわずかに動き続けたために再度電気ショックを与え、終了までに結局数分間を要しました。

この様子を間近で見ていたある新聞記者は、その残酷な光景のために気を失って倒れたと言われています。

電気椅子の意外な由来

電気椅子

電気椅子の原型を発明したのはトーマス・エジソンであるという説が有力です。

1880年代、エジソンは直流電流を用いた送電機器の販売を始めたのですが、時を同じくしてジョージ・ウェスティングハウス交流電流を用いた同様の商品を売り始めました。

このライバル商品を潰すべく、エジソンは交流電流がいかに危険かを世間に訴えるキャンペーンを実施。

このキャンペーンは次第に過激さを増していき、遂には人間を処刑するのに交流電流を使用することを提案したのです。

これがきっかけとなり、後に電気椅子が実現することに。

ちなみに、エジソンはこの処刑手段のことを「ウェスティングハウジング」と呼ぶべきだと主張していました。

5 死刑廃止論者になった元死刑執行人

刑務所

1982年から1999年まで、ヴァージニア州で死刑執行人を務めたジェリー・ギヴンズは、もともとは看守として働いていました。

あるとき、彼は死刑執行人の役目を引受けるのですが、そのときの死刑囚の数はゼロ

しかしその後、ヴァージニア州で死刑制度が復活したことから死刑囚の数は増えていき、ギヴンズは引退するまでに62人の死刑を執行しました。

彼は、薬殺刑電気処刑を行ったことがありますが、死刑を執行する立場からすると、両者はかなり異なるそうです。

薬殺刑の場合、死刑囚の体に薬を投与する点でかなり直接的なのに対し、電気処刑の場合はスイッチさえ入れれば後は機械が勝手にやってくれるので、より間接的で、それゆえに「人道的」であるとのこと。

ギヴンズが死刑執行人を続けていたのは17年間ですが、その終わりの頃は、執行の瞬間が不意に脳裏をよぎったりして精神的に相当参っていたそうです。

死刑執行人を経験した人は、そのことを明かさないことが多いのですが、ギヴンズは死刑制度の廃止を訴えるために、自ら名前を公表し、雑誌や新聞の取材にも応じていました。

あるインタビューで、彼はこう語っています。

自分が犯した最大の過ちは、死刑執行人の仕事を引受けたことだ。

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