画家になり損ねたアドルフ・ヒトラーの真実12選

アドルフ・ヒトラーに関するあまり知られていない事実の数々をご紹介。

1 元々の名字は「ヒトラー」ではない

「ヒトラー」という名字はあまりにも有名だが、もともとの名字は「ヒトラー」ではない。実は、父親のアロイス・ヒトラーは1877年に名字をヒトラーに変更したのである。

ちなみに、これはアロイスが行ったことのなかで唯一アドルフが評価していたものらしい。

2 元々はドイツ人ではない

実は生まれたのはオーストリアである。

そして、アドルフが3歳のときに家族はドイツのパッサウに引っ越した。そして、1925年の4月7日にオーストリアの市民権を放棄。その後、1932年の2月25日に正式にドイツ市民となったのである。

3 率先してダッチワイフを作った

これは、当時ドイツ軍兵士がフランス人の売春婦と関係を持ち、梅毒にかかるケースが増えてきた問題に対処するためだったらしい。

簡単に持ち運べるように携帯性にも気を遣っていたそうだ。

4 指導者になる前に2回も死にかけた

1度目は4歳の時で、溺れかけたところを牧師に助けられている。

2度目は第1次世界大戦の戦場で命を失いかけている。

5 実はベジタリアン

ベジタリアンというだけなら、それほど驚く事実でもないが、ヒトラーがベジタリアンになった理由が興味深い。

もともとは肉も食べていたのだが、検死解剖の現場を見たときから肉を食べることに嫌悪感を抱くようになり、野菜中心の食生活に変わったようである。

しかも、戦争が終わった暁には、ドイツ人の肉消費量を減らそうという計画すらしていたそうだ。

6 強制収容所には行っていない

ヒトラーといえば強制収容所において1100万もの人々を殺害したことで知られるが、実はヒトラー自身は強制収容所の現場に姿を現すことは1度も無かった

さらに、収容所についても公の場で触れることは無かった。

そのような残虐行為に自分が関わっていることから目を背けたかったのだと見られている。

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7 画家を志していた

ヒトラーは若かりし頃、画家を目指していた。

しかし、ウィーン美術アカデミーへの入学に2度も失敗し、しばらくホームレス状態になってウィーン市内で自分の描いた絵はがきを売り歩く生活を送っていた。

もし彼が同アカデミーに入学して画家としての道を歩んでいたなら、ホロコーストは無かったということになろう。

8 不眠症に悩まされていた

だいたい毎日明け方の4~5時くらいまで仕事をしていたそうである。

専門家の間では、パーキンソン病が原因で不眠症を患っていたのではないかという見方が強い。

9 実は超甘党

ヒトラーは無類の甘い物好きで、1日平均2パウンド(約750グラム)ものチョコレートを食べていたらしい。

10 実は嫌煙家

意外に思われるかもしれないが、ヒトラーはお酒もタバコもやらなかった。

それだけではなく、ドイツ社会から喫煙を無くそうと尽力していたのだ。自分の身近に、禁煙に成功した人がいれば、金の時計を贈るなどもしていたらしい。

ベジタリアンで甘党で酒、タバコは一切やらない…。

ここだけで判断すると悪いことをやるようには到底思えないから不思議だ。

11 一日に2回のコカイン

食生活だけみると健康に気を遣っていそうなヒトラーが何故コカインをやっていたのかというと、彼の主治医だったテオドール・モレルがヒトラーの持つ喉の痛みなどに対してコカインを処方していたためである。

ちなみにヒトラーはコカイン入りの目薬も使用していた。

12 恋人、エヴァ・ブラウンの自殺理由

ヒトラーの恋人であるエヴァ・ブラウンは2度も自殺未遂を犯している。

これは、ヒトラーが残虐な行為に手を染めていたからではなく、ひたすら彼の注意を引きたかったためらしい。

エヴァはその後ヒトラーと結婚するが、間もなくヒトラーと共に地下壕で自殺することとなる。

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