歴史上最もケチな人々5選

常識を超えたケチの世界をご紹介します。

普段の生活で、節約を心がけるのは悪いことではなく、むしろ推奨されるべきでしょう。

ただ、度が過ぎた節約は、周りから単なる「ケチ」と認識されてしまうかもしれません。

意外に思われるかもしれませんが、世界最大級の家具量販店であるイケアの創設者イングヴァル・カンプラードは、かなりの守銭奴として知られています。

イケア

イケアの成功によって億万長者になったにも関わらず、自分の着る服は必ずフリーマーケットで買うという倹約ぶり。

しかも、仕事で様々な国を訪れる彼は、散髪代が安い国にいるときを狙って散髪するのです(ちなみに、お気に入りはベトナムだとか)。

何故そこまでケチるのかという疑問に対し、彼はこう答えています。

リーダーは常に手本を示す必要がある。

自分で買い物をするとき、イケアの客ならこの金額でその商品を買うか、ということを私はいつも意識しているのだ。

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1 節約し過ぎて妻が餓死

骸骨

1726年にイギリスで生まれたトーマス・クックという男性は、「歴史上最も卑劣な守銭奴」という不名誉な称号を与えられています。

彼は、非常に裕福な女性と結婚しましたが、毎日の生活があまりに質素なため、妻を餓死に追いやったという逸話を残しているほど。

妻を失ってからもケチな生活が変わることはなく、わざわざ夕食時に友人宅へと押しかけて空腹を満たしていました。

自分が病気にかかったときは、みすぼらしい格好をすることで少しでも治療費を安くしようと試みることもしばしば。

クックは人生でまともに職に就いたことは無かったようです。

彼が亡くなった時には、妻の遺した財産がまだかなり残っていたそうです。

2 実在したスクルージ

スクルージ

物語に登場するキャラクターの中で最も有名な守銭奴といえば、ディケンズの『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージでしょう。

そして、このスクルージのモデルになったと言われているのが、イギリスで国会議員をしていたジョン・エルウェスです。

親から受け継いだ資産のおかげでお金に困ることは無かったはずですが、彼は異常なほど切り詰めた生活を送っていました。

ローソク代をケチるために、外が暗くなる頃には早々とベッドの中へ。

ローソク

新しい服を買うのを嫌って、いつもボロボロの格好をしていたので、街を歩いているとホームレスと間違われてお金をもらうこともあったとか。

また、エルウェスが住んでいたのは自分専用の家ではなく、自分が賃貸していたアパートの空室です。

賃借人が引っ越す度に、必要とあれば空室から空室へと移動していました。

彼の残したドケチ伝説の中でも特に危険なのは、腐った食べ物を食べていたこと。

お皿の上をウジ虫が這っていることもあったというから驚きです。

3 霊柩車でヒッチハイク

霊柩車

1756年にイングランドのグロスターで生まれたジェミー・ウッドは、祖父が設立した銀行を受け継ぎ、民間人としてはダントツで多くの資産を有していました。

そんな彼の残したドケチ伝説は数多くあります。

石炭を積んだ船が停泊しているのを発見すると、ウッドは近くへ行って地面に落ちている石炭をマメに拾っていました。

その目的は、自宅のストーブで利用するため。

道に落ちているコインを拾うこともよくあったので、彼のことをよく知る人たちは、炎で熱したコインを道にばら撒いてウッドの反応を楽しむこともあったとか。

また、移動に金を使うことを嫌って、普段から頻繁にヒッチハイクをしていたと言われています。

驚くことに、霊柩車でヒッチハイクしたこともあったそうです。

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4 悪夢の遺言書

金塊

アメリカ人のウェリントン・バートという男性は、19世紀後半から20世紀にかけて製材業で成功し、億万長者になりました。

そんな彼の送っていた普段の生活は、決してケチなものではありません。

ケチなのは、遺言です。

バートは遺言の中に、相続に関する驚くべき条件を付け加えました。

その条件とは…。

私の最後の孫が死亡してから21年を経過するまでは、遺産の分割・分配を一切禁ずる。

1919年にバートが亡くなったときに彼の遺言状を見た相続人たちは、愕然としたことでしょう。

何しろ、多額の財産にはいっさい手を付けられず、しかもこの奇妙な条件が満たされるときまで自分が生きているかどうかも分からないのですから。

彼の最後の孫が亡くなったのは1989年。

それから更に21年経った2010年にようやく遺産分割の時がやってきました。

このとき、自分にこそ分け前に預かる資格があると名乗り出たのは30人以上

しかし、綿密な調査を行い、その数は最終的に12人にまで絞られました。

彼らが現実に遺産を手にしたのは2011年ですから、バートが亡くなってから実に92年間も、莫大な財産のほとんどが手付かずのままだったのです(実際は、法の抜け穴を利用して、バートの子供が財産のごく一部を相続していました)。

ところで、バートは何故このような厄介な遺言状を書いたのか。

真の理由は本人のみぞ知るといったところですが、恐らくは、醜い相続争いが起きるのを意識したくなかったからではないかと見られています。

5 ウォールストリートの魔女

魔女

1834年に米国マサチューセッツ州で生まれたヘティ・グリーンは、一人娘として裕福な家庭で育ちました。

幼少期より両親から金融について学んでいた彼女は、社会に出てから実業家として成功を収め、文字通りの巨万の富を築きます。

現在の貨幣価値で約4000億円以上もの資産を持ち、間違いなく彼女は当時世界で最もリッチな女性でした。

にも関わらず、ヘティもやはり数々のドケチ伝説を残し、やがて「ウォールストリートの魔女」と呼ばれるようになります。

毎日同じ黒のドレスを身にまとい、手は決して洗わず、たまに洗濯をするときも、洗うのはあくまで衣類の「汚れた部分」だけ。

真冬でも暖房やお湯は一切使わず、食事のほとんどは15セントのパイだけで済ませていたとか。

そんなヘティは33歳で結婚し、シルヴィアとネッドという二人の子供をもうけますが、夫との仲は短命に終わります。

そして予想どおり、子供たちは母親の病的なドケチ生活の影響を受けることに。

服

娘のシルヴィアは、処分するしかないような古着を着せられ、友達もほとんどいませんでした。

また、息子のネッドが事故で脚に大怪我を負ったときでさえ、ヘティはそのドケチぶりを遺憾なく発揮します。

彼女は息子を病院に連れて行ったのですが、治療費を聞いてそのまま家に引き返したのです。

その結果、ネッドの脚の状態が悪化し、遂には切断手術を余儀なくされたとか(ただし、この話には異説あり)。

ヘティは81歳で亡くなり、子供たちに莫大な財産を遺しました。

しかし、その後もシルヴィアは倹約的な生活を続け、ネッドは人一倍仕事に精を出します。

そのネッドが1936年に亡くなったとき、彼は財産のほとんどをシルヴィアに遺贈していたのです。

つまり、最終的に潤沢な資産を独り占めにしたのはシルヴィアだということ。

他人には何も与えずに節約を徹底することを母親から叩き込まれていた彼女は、その人生の最期で「反撃」に出ます。

シルヴィアは、443万ドルという巨額の金をチャリティに遺贈していたのです。

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