刑罰を免れた殺人者たち6選

明らかに殺人を犯していながら、それに見合う刑罰を受けずに済んだ人々をご紹介します。

人を殺したのに無罪。

本来なら、裁判でこのような結論が出るのは避けられるべきですが、決定的証拠が無ければそれもやむを得ません。

こういった事例で最も有名なのは、1994年に起きた「O・J・シンプソン事件」でしょう。

元妻とその友人を殺害した容疑で刑事裁判にかけられ、有罪につながる強力な証拠があったにも関わらず、シンプソンは最終的に無罪を勝ち取りました(但し、後の民事裁判では殺人の事実が認定されています)。

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1 日本人と間違えられて起きた悲劇

クラブ

先のO・J・シンプソン事件は、人種差別という要素が絡んでいたためにいっそう世間の注目を集めましたが、こちらの事件も同様です。

1982年6月19日、デトロイトで製図技師の仕事をしていた中国系米国人のヴィンセント・チンは、近所のナイト・クラブで独身最後のパーティを開いていました。

彼は8日後に結婚を控えていたのです。

そこへ、たまたま居合わせたロナルド・エベンズとマイケル・ニッツの二人が侮蔑的な言葉を吐きつつケンカをふっかけてきます。

当時、デトロイトでは三菱自動車など日本の自動車メーカーが進出し、アメリカ人の仕事が奪われるという状況がありました。

車

それに不満を抱いていた二人は、ヴィンセントを見つけるやいなや彼を日本人だと勘違いし、攻撃的な態度に出たのです。

両者の言い争いは次第にエスカレートしていき、最終的にヴィンセントはマクドナルトの前で木製バットを持ったエベンズに頭部を殴られ続け、それが原因で4日後に死亡

何の落ち度も無い相手を故意に死なせたのは明らかな事件ですが、後の裁判でエベンズに下された判決は3年の保護観察3000ドルの罰金のみでした。

市民からの抗議の声を受け、1984年と1987年にも裁判が行われましたが、結果は同じ。

人を殴り殺していながら実質的には完全に自由の身です。

2012年、電話のインタビューでこの事件のことをエベンズが「人生で唯一の過ち」だったと表現したのが、現在までで「唯一の謝罪」となっています。

2 斧を振り回す貴婦人

斧

1892年8月4日、米国マサチューセッツ州フォールリバーにあるリジー・ボーデンの自宅で、彼女の父親と継母が殺害されているのが発見されました。

直接の死因は、斧による頭部への打撃

疑いの目を向けられたのは、第一発見者であるリジー。

彼女の証言には一貫性が無く、犯行時のアリバイも証明できませんでした。

さらに、殺人のあった日に毒薬を購入しようとしていたことや、その日の夜中に自分の着ていたドレスを焼却していたことなど、状況証拠の全てがリジーの犯行であることを物語っていたのです。

ところが、裁判で彼女は無罪になります。

地下室で発見された凶器の斧から血痕が出なかったことなど、決定的証拠に欠けていたのがその理由の一つ。

彼女は自由の身となったわけですが、住民はそれに到底納得できなかったようで、後にリジーを村八分にしています。

3 マジックマッシュルームで罪を暴露

きのこ

2002年、米国バーモント州バーリントンで、デクラン・ライオンズという男性の死体がレストランの前で発見されました。

頭部に致命傷を負わされていたのです。

ライオンズは人に恨みを買うような人柄ではなかったことから、容疑者の特定は難航しましたが、事件から約1ヶ月後に捜査は大きく進展します。

彼の同僚であるアイザック・ターンバウが、パーティでマジックマッシュルームを摂取し、気分がハイになっている状態でライオンズ殺害をうっかり告白したのです。

しかし、2004年に行われた裁判では、意外なことに彼は無罪となりました。

幻覚症状を起こしているときの自白だったので、信用性に欠けると判断されたためです。

そして2011年、アイザックは酒やドラッグの影響が無い状態で、またも同僚を殺したことを告白します。

しかしながら、彼はこの事件で一度無罪が確定しているため、一事不再理の原則により再び裁判にかけることは出来なかったのです。

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4 夫の死体を最後まで隠し通した妻

墓地

1997年、イギリスのサウス・ウェールズに住むリー・アン・サビーンは、友人と電話で話しているとき、夫婦仲について聞かれてこう答えました。

夫なら殺したわ。

ベッドのそばにあった置物で頭をガツンとやってね。

いきなり衝撃的なことを聞かされたその友人は、単なる冗談だと思って特に気に留めなかったそうです。

しかし、2015年にサビーンが亡くなったとき、彼女の自宅近くから夫であるジョンの遺体が発見されます。

サビーンが電話で友人に語ったことは冗談でも何でもなく、彼女は夫を殺害した後、その遺体を車体カバーに包んで18年間もベッドの下に隠していました。

彼女は長年連れ添った夫を殺した罪を、遂に墓場まで持っていくことに成功したというわけです。

5 死臭が漂う車

道路

2008年、米国フロリダ州オーランドで、ケイリー・アントニーという2歳の女の子が行方不明になりました。

そして、消息を絶ってから約1ヶ月後、自宅近くの森でケイリーの遺体が発見されます。

第一容疑者となったのは母親のケイシー。

彼女は娘が行方不明になってからもミス・コンテストに参加するなど、我が子のことをまるで気にかけない行動をとっていました。

事件に関する証言も二転三転し、中には明らかにウソと思われるものも。

ケイシーにとって最も不利だったのは、彼女の車のトランク内に死体の強烈な腐敗臭が充満していたこと。

1ヶ月に及ぶ裁判で、400以上の証拠と約90人の証人が現れ、それらの多くがケイシーの犯行であることを示していましたが、その判決に誰もが驚くことになります。

彼女には無罪判決が言い渡されたのです。

6 口笛を吹いただけの黒人少年に死の制裁

店

惨劇の発端となった食料品店

(※ウィキペディアより)

1955年8月24日、米国ミシシッピ州に住むエメット・ティルは、キャンディを買うために「ブライアントの食料品店」を訪れます。

そこで彼は、店番をしていた白人女性のキャロラインに口笛を吹いたことで、彼女の家族から怒りを買うこととなります。

彼がなぜ口笛を吹いたのかは定かではなく、キャロラインの関心を引くためだったとも、吃音を軽減するための癖だったとも言われています。

いずれにせよ、その14歳の黒人少年は、キャロラインの夫と兄から壮絶な暴行を受け、顔の形が原型をとどめない状態にされてから川に投げ捨てられます。

犯行の一部始終を目撃していた人物が数名いたにも関わらず、二人は裁判で無罪となりました。

さらに信じがたいことに、後にこの二人は雑誌のインタビューでエメット殺害のことを誇らしげに語っているのです。

この事件はアメリカの公民権運動に多大な影響を与え、エメット・ティルは現在もなお、様々な小説・映画・舞台などで取り上げられています。

エメットの死体が発見された場所にはメモリアルのプレートが設置されているのですが、2016年10月15日、エメットについての短編映画を製作中だった男性が、銃弾によってプレートが蜂の巣にされているのを発見しました。

彼はその写真をフェイスブックに投稿し、差別問題が無くなるまでの道のりがまだ長いことをよく示しているとコメントしています。

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