これからご紹介する事件は、ウソのようで全て実話です。
2015年時点での統計によると、アメリカでは毎年約2万6千人の子供が誘拐されており、これは一日平均700人以上の計算になります。
少し意外な事実として、誘拐される子供の80%以上は、親権を巡る争いなどが原因で他の家族によって連れ去られているのです。
ドラマや映画にあるような、身代金を目的とした誘拐は、1年間で100件程度。
全体の1%にも満たないのです。
そして、その数少ない誘拐事件の中には、誰も予想できないような結末を迎えたものもあります。
〈originally posted on April 1,2018〉
1 ジャングルの王者の威力
1958年、キューバの高級ホテルに宿泊していたアメリカ人の一団がゴルフを楽しんでいると、兵士のような身なりをした男たちが突然彼らを取り囲み、銃を突きつけました。
1958年といえば、キューバ革命の直前期。
そんな状況で呑気にゴルフをしている裕福そうなアメリカ人は、革命軍の兵士にとって格好の標的です。
兵士たちは、今にも銃をぶっ放しかねない雰囲気をまといながら、目の前のアメリカ人に一人ずつ尋問していきました。
客観的に見て、いつ誘拐事件に発展してもおかしくない流れです。
その時、アメリカ人グループの一人、ジョニー・ワイズミュラー(54)が、自分の方に歩み寄ってきた兵士に向かってこう言い放ちました。
これを聞いた兵士たちは、多分こう思ったことでしょう。
「ヤバ……なに言ってんの、コイツ」
兵士のリアクションがイマイチだったのにもめげず、ワイズミュラーは、今度は両手の拳を固めて自分の胸を荒々しく叩き、雄叫びを上げ始めました。
映画に詳しい人ならお気づきかも知れませんが、実はこのジョニー・ワイズミュラーという男性、かつてハリウッドで本当にターザン役を演じていたのです。
ただの頭のオカシイおじさんではありません。
兵士に囲まれて身の危険を感じた彼は、自分がターザン役のハリウッド・スターであることを全力アピールすることで、窮地を脱する可能性に賭けたのです。
そして、彼の賭けは成功しました。
兵士たちは、今しがた雄叫びを上げた男が本物のターザンであることにようやく気づき、一気にテンション爆上がり。
ハリウッド・スターに出会えて感無量の彼らは、誘拐を取り止め、ワイズミュラー一行をホテルまでエスコートしたそうです。
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2 逆ストックホルム症候群
2015年3月23日午前3時ごろ、米国カリフォルニア州ヴァレーホで、デニス・ハスキンスが彼氏のアーロン・クインと一緒に自宅で寝ていたところ、突然の眩しい光で目を覚ましました。
何事かと思って状況を確認しようとした瞬間、家の中に誰かが侵入していることに気づきます。
抵抗する余裕も無く、ハスキンスとクインの二人は、侵入者たちによって身体を拘束され、目隠しとヘッドホンを装着されました。
ヘッドホンからは、予め録音されたと思しき音声が流れ、それにより、犯人たちが身代金目当てで誘拐を決行するつもりであり、それに対して抵抗すれば命の保証が無いということを知ります。
犯人グループは、クインを階下に連れて行き、椅子に体を縛り付けた上で彼を薬で眠らせ、身代金を要求するメモとともに放置。
続いてハスキンスを車のトランクに押し込め、数時間運転して、彼女を監禁しておく建物に到着。
その後、爆睡していたクインが昼の2時過ぎになってようやく目を覚まし、警察に通報します。
クインの話によると、事件が起きてから彼が通報するまで10時間以上も経っていたため、警察は当初から彼の説明にやや懐疑的だったとか。
そして事件発生から2日後、まだ身代金を払っていないにも関わらず、監禁されていたハスキンスは、実家から約650km離れた場所で犯人によって解放されました。
彼女の証言によれば、監禁されている間は食事や水を提供され、シャワーを浴びることもできたとのこと。
ただ、ハスキンスの話には少し一貫性に欠ける部分もあり、警察は全面的には信用していませんでした。
とりあえず、事件の被害者である二人は無事だったわけですが、犯人が逮捕されていない以上、事件解決にはなりません。
しかし警察は、ハスキンスたちが誘拐された事件を、非情にも「自作自演」であると発表。
このままだとこの事件は、若いカップルの悪ふざけによって警察の業務が妨害されただけということになってしまいます。
果たして、真相はどうなのか。
警察が「自作自演」を発表した直後、地元の新聞社に匿名のメールが届きます。
これは、おそらく犯罪史上に残るであろう衝撃のメールです。
その内容は、ハスキンスたちは間違いなく誘拐の被害に遭ったのだと断言している、犯人自らの告白でした。
その誘拐犯は、自分の誘拐した相手が不名誉な扱いを受けているのに納得がいかず、その汚名を晴らすべくメールを送ってきたのです。
ところで、犯人は何故ハスキンスをあっさり解放したのか。
これは、「逆ストックホルム症候群」が原因です。
ストックホルム症候群とは、誘拐された被害者が、誘拐犯に対して好意を抱くこと。
それとは逆にハスキンスは、自分が如何に周りから大切にされているかを熱っぽく犯人に語ることで、犯人が自分に好意を抱くように仕向けたのです。
その後も犯人は、ハスキンスたちを擁護する長文のメールを送ったのですが、それが原因で足が付き、逮捕されました。
3 現行犯で逮捕された犯人のトンデモ発言
ブラジルでスーパーマーケットのチェーン店を展開し、莫大な財産を有していたアビリオ・ディニーズという人物がいます。
1989年、彼は、仕事を終えて車で帰る途中、数人の男たちに襲撃されました。
犯人たちは、ベンツからディニーズを引きずり降ろし、自分たちの車に乗せて、とあるアパートへと連れて行きます。
部屋の中にディニーズを監禁した誘拐犯は、彼の家族に対し、500万ドルの身代金を要求。
その一方で、ディニーズを大人しくさせるため、大音量で音楽をかけ始めました。
するとディニーズは、怯むどころか、もっと音楽のボリュームを上げるように挑発。
これにカチンときた犯人たちは、さらにボリュームを上げます。
しかし、この騒音に隣の部屋の住人が激怒し、すぐさま警察に通報しました。
警察が駆けつけてみると、部屋の中には、身動きできない男性とその回りを囲んでいる怪しげな男女数人。
まんまとディニーズの策略にはまった誘拐犯たちは、現行犯で全員逮捕されました。
犯人グループの構成は、ブラジル人1名、チリ人5名、アルゼンチン人2名、カナダ人2名。
さて、この事件の「主役」というべきは、被害者のディニーズではなく、最後のカナダ人2名です。
デイヴィッド・スペンサーとクリスティーン・ラモントは、カナダで大学に通う学生でしたが、今回の誘拐計画に加わっていました。
しかし、現行犯で逮捕されたにも関わらず、彼らは無罪を主張。
これだけでも驚きですが、さらに信じがたいことに、カナダ政府はその主張を全面的に支持したのです。
カナダ国内のメディアは、二人の無実の学生がブラジルで不当に拘束されているとの報道を繰り返します。
その結果、1998年、ブラジル政府は遂にスペンサーとラモントの二人をカナダ側に引渡すことに。
もちろん、彼らは無実ではありません。
その後、スペンサーとラモントは国際的テロ組織と関わりがあるという事実が発覚し、彼らはディニーズ誘拐に加わったことをようやく認めました。
ただし、ブラジルでの服役期間が考慮され、二人はすぐに釈放されています。
4 解放されるのを目前にして待てなかった男
1986年1月、イギリスのロンドンで、モハメド・サディク・アル・タジールという男性が、帰宅途中に4人組の男に連れ去られました。
彼の兄は、ロンドンで大使を務めた経験もある億万長者で、そのことを知っていた犯人グループは、7150万ドルという法外な額の身代金を要求してきたのです。
タジールは、目隠しをされた状態でベッドの上に体をチェーンで固定され、そのまま数日間放置されていました。
ある日、タジールが目を覚ますと、側に犯人からのメモが残されていることに気づきます。
メモによると、タジールは近いうちに解放される予定だが、自ら助けを求めに行ったりすれば、命は無いとのこと。
そうなると、彼が取るべき行動は一つしかありません。
下手に脱出を試みて殺されるより、もうしばらく大人しくしている方が明らかに賢明です。
ところが、何日間もベッドで寝たきりの状態を強いられていたタジールは、もう我慢の限界に来ていました。
彼は、長期間監禁されていたとは思えぬほどの力強さで立ち上がり、階段を下りて当たり前のようにドアを開けて外に出たのです。
もちろん、背中にベッドが張り付いたまま。
タジールはすぐに近所の家のドアをノックし、助けを求めました。
その時、玄関口で応対した女性はこう語っています。
「ドアを開けたら、端正な顔立ちの男性がいたのだけど、パジャマ姿でベッドを背負っていたから驚いたわ」
その後、タジールは警察によって無事にベッドから「分離」されました。
ちなみに、犯人たちが彼を解放する予定だったのは真実で、実は既に身代金が支払われていたのです(ただし、交渉の結果、金額は300万ドルに下がっていました)。
つまり、タジールがわざわざ危険を犯して、「ベッド男」として逃げたりする必要は全く無かったということになります。
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5 生徒全員の命を救ったヒーロー
誘拐というのは、連れ去ろうとする相手の数が多くなればなるほど、成功させるのが困難になるため、何十人もの人が一斉に被害者となる誘拐事件はあまり例がありません。
しかし、時には無謀な犯罪計画を立てる者もいます。
1976年7月15日、米国カリフォルニア州チャウチラで、26人の生徒を乗せたスクールバスが、別の車に行く手を阻まれ、強制停止させられました。
車に乗っていた男たち3人は、バスの運転手と子供を銃で脅しつつ2台のバンに分乗させ、遠く離れた採石場へと移動。
その採石場には地中に埋めたトラックがあり、運転手と子供たちはその中に監禁されました。
トラックの中にあるのは、わずかな食料と水、そして大量のマットレス。
一応食べ物があるとは言っても、トイレも無い密閉空間にこれだけの人数が長時間閉じ込められているのは色んな意味で危険です。
子供たちの中には、この状況から自分たちを救い出してくれるヒーローが現れないかと夢想していた子もいるかもしれません。
しかし、ヒーローは最初から子供たちのすぐそばにいたのです。
そのヒーローとは、バスの運転手であるフランク・エドワード・レイ(55)。
彼はまず、ありったけのマットレスを積み上げ、それを踏み台にしてトラックの開閉式の天井に手を伸ばします。
次に、天井の隙間に棒を割り込ませ、犯人が重しとして置いていた2個の工業用バッテリー(1個45kg)を、凄まじい腕力で押しのけて、天井を開きました。
こうして、地下に閉じ込められてから約16時間後、生徒たちはレイによって全員無事に助け出されたのです。
この時点ですでに、レイはヒーローの称号を得る資格十分ですが、彼の功績はまだ終わりません。
催眠術を使って、誘拐犯の乗っていた車のナンバーを彼は正確に思い出し、そのおかげで犯人は全員逮捕。
2012年、レイは91歳で亡くなりましたが、晩年は、彼に助けられた子供の多くが、30年以上の時を経てレイの元を訪れたそうです。