ラブラブな二人が、ある日忽然と姿を消す……。
謎に満ちた失踪事件というのは数多く存在します。
その中でも、カップルが同時に居なくなる事例はかなり特殊と言えるかもしれません。
誘拐や殺人などの犯罪が絡んでいるとしても、被害者が複数である分、犯人にとってはリスクが大きくなります。
一方、本人たちが自ら失踪という道を選ぶのもやや不自然。
今の時代に「駆け落ち」というのも現実的ではないでしょう。
〈originally posted on September 24,2017〉
1 最後のジョギング
1997年11月7日夕方、マンハッタンで同じアパートに住むマイケル・サリバン(54)とカムデン・シルビア(36)の二人が、ジョギングのために家を出たまま行方不明になりました。
数日経っても彼らの帰宅した気配は無く、カムデンの母親が心配になってアパートを訪れます。
部屋に入ってみると、そこには家の鍵やランニングシューズ、バッグなど、二人の私物がそのまま置いてありました。
彼らが何らかの事件に巻き込まれたのだとすると、犯人の可能性が高いのは、アパートの大家であるロバート・ロドリゲス。
家賃を大幅に値上げしようと考えていた彼は、アパートの住人たちに対し、値上げに応じなければ暖房設備を使えなくすると宣言していました。
これを受けて、話し合いで解決するまでは家賃を支払わないと住人側が主張して対抗。
マイケルとカムデンの失踪は、そんな対立の最中に起こったのです。
そして奇妙なことに、二人が失踪した直後、今度は大家のロドリゲスまでもが姿を消しました。
しかし、その後ロドリゲスは警察に逮捕されます。
容疑は、窃盗および詐欺。
失踪の件とは無関係です。
彼は裁判で懲役6年を食らい、刑期を終えて出所しました。
失踪事件にもロドリゲスが絡んでいることを様々な要素が示唆していますが、証拠は何も発見されておらず、マイケルとカムデンの運命も不明のままです。
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2 ショッピングの後に消えたカップル
2006年7月27日、米国テネシー州ハーディン郡在住のクリストファー・ミッテンドーフ(21)と、そのフィアンセであるクリスティーナ・ブラナム(17)が、二人で買い物に出かけました。
彼らは二人ともクリストファーの家に住んでいたのですが、その日の夜にクリストファーの母親が帰宅すると、二人の姿はどこにもありません。
新しく買った服などがベッドの上に置かれていたので、おそらく買い物から帰ってきて再び出かけたのでしょうが、彼らが戻ることはありませんでした。
5日後、家から80~90kmほど離れた場所で、二人の乗っていた車が発見されます。
車内にはケータイも残されていました。
目撃者の情報によると、二人はその車から、別の白い車に乗り換えて去って行ったとのこと。
さらに、クリストファーの母親が家の中を調べたところ、鍵のかかった箱が見つかり、その中には「ジョージ・ボーガス」という男の所持品があったのです。
仮に、クリストファーかクリスティーナのどちらかがボーガスからそれを盗んだのだとすると、彼らは報復によって殺害された可能性があります。
犯人はボーガスなのか。
2010年、それが判明する前に、何とボーガス自身が妻によって殺されました。
これにより、失踪した二人の手掛かりは完全に失われてしまい、真相を解明できる可能性はほぼ無くなったのです。
3 謎だらけの新婚旅行
米国アイダホ州ツインフォールズ出身の新婚カップルであるグレン・ハイドと妻のベッシーは、1928年、かなり変わった新婚旅行に出発しました。
コロラド州最長の支流であるグリーン川を、自家製のボートで川下りしようと計画したのです。
二人の旅は至って順調で、1928年11月15日、物資を補給するために、エモリー・コルブという写真家の家に立ち寄ります。
しかし、コルブの家を去ってから、何故か二人の足取りは分からなくなりました。
翌月になって、二人の乗っていたボートを救助隊が発見。
ボートには十分な食料と、二人の所持品がありましたが、彼らの消息は依然つかめないまま。
二人は救命胴衣を持って行かなかったので、溺死の可能性が指摘されました。
ところが、1971年になってこの失踪事件は不可解な方向へと発展します。
エリザベス・カトラーという女性が、自分こそがベッシー・ハイドであると名乗り出たのです。
彼女の話によると、夫のグレンを刺殺した後、名前を変えて第二の人生を始めたとのこと。
ただ、後になって彼女はその発言を撤回しています。
また、エモリー・コルブの死後、頭蓋骨に銃創のある白骨死体が彼の家から発見されました。
となると、コルブが新婚カップルを銃で殺害したのか。
しかし、鑑定の結果、その死体は全く別人のものと判明。
一体何がどうなっているのか……。
失踪から90年近く経った今も、全ては謎のままです。
4 子供を残して夜中に失踪
1971年5月21日深夜、米国ケンタッキー州コービンに住むクロード・シェルトン(37)と妻のマーサ・スー(27)が、3人の子供たちをベッドに寝かせたまま家を出て行きました。
それ以降、二人の姿を見た者はいません。
普段の彼らをよく知る人の話では、その夫婦は、子供を置き去りにしていくようなタイプではなかったとか。
自発的に出て行ったのではないとすると、一体何がそうさせたのか。
この点について、警察は何ら答えを見つけられませんでした。
ほとんど唯一の手掛かりは、子供の一人が耳にした両親の会話です。
クロードはスーにこう尋ねていました。
さらに、家から約8km離れたサービスエリアに立ち寄るというような話も。
しかし、21日の深夜にそのサービスエリアで二人を目撃した人はいませんでした。
失踪から2ヶ月後、オレゴン州で、身元不明の女性の遺体が発見されます。
外見がスーに似ていたため、2009年にDNA鑑定が行われました。
ところが、それは全く別人のものだったのです。
事件は完全に迷宮入りとなりました。
5 75年後に発見された夫婦
今から75年前、スイス南西部シャンドリンの近くに住むマルスラン・デュモリン(40)と妻のフランシーヌ(37)が、牛にエサをやるためにアルプス山脈へ向かい、そのまま行方不明になりました。
エサやりは、普段は夫のマルスランだけで行なう仕事でしたが、その日は初めてフランシーヌが夫に付き添って行ったのです。
残された5人の息子と2人の娘は、両親の失踪後、全員がそれぞれ別の家に引き取られることに。
それ以降、消えた二人の手掛かりは何も得られないままでしたが、2017年になって、スキー場の従業員が、解けた氷河の中から二人の遺体を発見しました。
おそらく彼らは、誤ってクレバスに転落し、そのまま氷漬けにされたと考えられます。
死体はほぼ完全な形でミイラ化しており、身に付けている服や靴などもそのまま。
ちなみに、服は第二次世界大戦中のものでした。
末っ子の娘は現在79歳ですが、新聞の取材で彼女が語ったところによると、彼女たちは両親を見つけ出すという希望を捨てず、これまであらゆる手を尽くしてきたとか。
また、今回の発見により、ようやく心を落ち着けることが出来るとも言っています。
葬儀の際、彼女は黒ではなく白い服を着るつもりでおり、その理由は、75年間抱き続けた希望を象徴する色だからだそうです。
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6 コンサートに行ったまま帰らぬカップル
1973年7月27日、ニューヨークのナロウズバーグに住むミッチェル・ヴァイザー(16)とその彼女であるボニータ・ビクウィット(15)が、約120km離れた場所で開催されるコンサートに行く予定を立てます。
移動手段としてヒッチハイクを選んだ彼らは、まずトラックに乗せてもらい、その後、州道97号線で再びヒッチハイクをしているのが目撃されているのですが、それを最後に目撃情報が途絶えています。
警察は、家出か駆け落ちの類ではないかと考えていましたが、彼らの両親はそれを真っ向から否定。
二人の身に何が起きたのかが分からないまま27年が過ぎた2000年、この失踪事件をさらに謎めいたものにする人物が現れます。
アリン・スミスと名乗るその男は、コンサートのあった日、帰りにヒッチハイクでフォルクスワーゲン・バスに乗ったところ、ミッチェルとボニータと思われるカップルも同乗していたと語りました。
途中、川で一泳ぎするためにそのカップルはバスを降りたのですが、運悪く二人とも川に流されてしまったとか。
バスの運転手は、後で警察に通報しておくとスミスに告げて、その場を去ったそうです(ただし、彼が警察に電話した記録は無し)。
警察は、スミスの語った内容を概ね信用しましたが、しかし彼の話には少し解せない部分もあります。
怪しい点は以下の3つ。
- 通報すると言っていたバス運転手が、実際には通報しなかったのは何故か。
- ミッチェルとボニータが川で流されそうになったとき、スミスはその場にいたのに何故助けようとしなかったのか。
- 失踪から27年も経ってからスミスがこの情報を提供しようと思った動機は何か。
これらの疑問に対する答えは未だ出ておらず、二人の行方も分かっていません。