ウチのサイトにしては極めて珍しく、今回は、ちょっと感動的な話の数々です。
自分に残された人生が、あとわずかな期間しかないと知ったときにどういう行動を取るかは重要な問題です。
その際、人生最後の願いを叶えたいと思う人もいるでしょう。
これは、遺言とは異なります。
遺言は、それを書いた本人が死亡した後の問題です。
しかし、「最後の願い」というのは、むしろ本人が生きている間に実現してこそ意味を持つ場合もあるのです。
〈originally posted on June 29,2018〉
1 ホームレスと愛犬
米国アイオワ州シーダーラピッズという街に、車の中で生活を送るケヴィン・マクレーン(57)という男性がいました。
そんなホームレス生活を送る彼の唯一の話し相手は、一匹の犬。
厳しい日々の中で、おそらくはその犬が心の支えとなっていたことでしょう。
ところが、あるときマクレーンは肺ガンを患って病院に搬送され、残された犬はシェルター行きに。
彼の症状は既に末期の段階で、余命は幾ばくもありませんでした。
そこでマクレーンは、最後にもう一度だけ愛犬に会いたいと医師に伝えます。
幸い、マクレーンを搬送した救急医療隊員の一人が、その犬が送られたシェルターでボランティア活動をしていたことから、マクレーンの願いはすぐに実現しました。
彼と愛犬が再会したときの様子を見ていた人の話によると、その犬はマクレーンの姿を見るなり、近寄って手や顔を舐め始めたとか。
この2日後、マクレーンは息を引き取りました。
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2 小さな二人のウェディング
米国テキサス州サウスレイクに住むジェイラ・クーパーは、約2年間白血病と戦った末、9歳のときに、自分が生きていられるのがあと数週間しか無いことを知りました。
そんな彼女の最後の願いは、親友のホセ・グリッグスと結婚式を挙げること。
ジェイラとホセは、ダラスの小児医療センターで知り合い、二人の間にはすぐに強い絆が生まれました。
ジェイラによれば、彼女はホセのことが「とってもキュートだから大好き」なのだとか。
その後、二人の挙式は、お互いの両親や友人が集まって本格的に執り行われました。
ジェイラの母親は、小さな新郎新婦のウェディングを見届けたときの想いをこう語っています。
「この気持ちはとても言葉では説明できないわ。
嬉しくて、それでいて悲しい。
我が子が天に召されることを思うとね……」
3 生涯童貞を貫く辛さ
「一生童貞」という言葉でググってみると、実に様々な情報が出てきます。
25歳までに童貞を捨てられない人は、一生童貞で終わる確率が跳ね上がる、といった多少は説得力がありそうなものから、30歳まで童貞だと魔法使いになる、などといったよく分からないものまで。
何にせよ、ほとんどの男性にとっては、死ぬまで童貞という事態は出来れば避けたいでしょう。
生まれながらにしてデュシェンヌ型筋ジストロフィーという症状を抱えるニック・ウォーリスという男性も、童貞のまま死ぬことに耐えられませんでした。
オックスフォードにあるダグラス・ハウスというホスピス施設で生活する彼は、その病気のために日常生活が大幅に制限され、女性と知り合う機会は全く無かったのです。
通常、この病気にかかった患者は30代で亡くなるので、22歳のウォーリスにとっては、30歳で魔法使いとかそんな悠長なことは言ってられません。
そこで彼は、ホスピスのスタッフに、自分の抱く最後の願いについて打ち明けました。
本人によると、この話を切り出すまでに彼は2年間も悩んだとか。
そして、彼の望みを叶えようとサポートすることを決めたのが、そのホスピスで働くシスターであるフランシス・ドミニカです。
彼女が出した答えは、風俗のサービスを利用することでした。
何の意外性も無い結論ですが、しかしそれ以外に方法が無いのも事実。
ドミニカの協力のおかげで、その後ウォーリスは無事に童貞を卒業しました。
ただ、その初体験は、彼が想像していたものとは少し違っていたとか。
ウォーリスは、やはり本当の恋人と結ばれた方が幸せであるということを再認識させられたようです。
4 自分より他人を優先した少年
医師から余命2週間であると告げられたら何を望むか。
普通の人なら、自分の個人的な願いを叶えることを選ぶでしょう。
ずっと行ってみたかった場所へ旅行に出かけたり、食べたかったものを存分に食べたり。
それが子供であれば尚更です。
2005年、米国ワシントンに住む11歳のブレンデン・フォスターは、急性リンパ性白血病にかかりました。
それから3年経ったある日、彼は自分があと2週間しか生きられないことを知ります。
そのときブレンデンが最後の願いとして周りに伝えたのは、ホームレスの人たちに無償で食べ物を提供して欲しいということでした。
この利他的すぎる願いに心を打たれた地元の多くの人々が、彼の望みを叶えるために活動を開始。
その結果、2500食を超える食料が、シアトルにある慈善団体の施設に集められました。
ブレンデン自身は病気のためにこの活動には参加できませんでしたが、集まった食料は全て彼の名前でホームレスの人々に配給されたのです。
そして、自分の願いが叶ったことを見届けてから、彼は母親の両腕に抱かれつつ息を引き取りました。
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5 奇跡のホームラン
米国メリーランド州カレッジパーク在住の高校生ジョナサン・サボ(16)は、祖父のフランク(83)と非常に仲が良く、ジョナサン自身が地元の野球チームに所属していたこともあり、野球についてよく二人で語り合っていました。
あるときフランクは、ジョナサンが出場する次のトーナメントが間近に迫っていることを知り、その試合で自分のためにホームランを打ってくれ、と伝えます。
しかし、体格が決して大きい方ではなかったジョナサンは、ホームランを確約できるほどの自信が無く、しかもそのトーナメントでは、一般的にホームランが出にくいとされる木製バットの使用が義務付けられていたため、あまり良い返事はしませんでした。
そのわずか数日後、フランクは帰らぬ人に。
程なくしてトーナメントが始まりましたが、最初の2試合は、打席に立ったジョナサンに良いところは全くといっていいほどありませんでした。
ホームランどころか、ヒットすら打てない不甲斐なさに彼はイライラを募らせます。
しかしその次の試合、2ストライク3ボールの状態で打席に立っていたジョナサンは、突然「奇妙な感覚」に襲われました。
気持ちを落ち着けるために、一旦その場から数歩下がり、再び打席へ。
そして、ピッチャーが球を投げた次の瞬間、ジョナサンはバットを振ったのですが、不思議なことにその時のことを彼はハッキリとは覚えていないのだとか。
気づいたら彼は、一塁を通過し、二塁へ走っていたのです。
文句無しのホームランでした。
三塁を回り、ホームベースを踏んで空を見上げていると、祖父の最後の願いを叶えられた喜びから、思わず涙が溢れ出し、そんな彼を見てチームメイトが駆け寄ります。
ちなみに、このトーナメントの全試合において、彼のチームから出たホームランはこの一本だけです。
次の日、フランクの葬儀が営まれ、ジョナサンはホームランボールを遺体の脇に添えました。
そのボールには、次のようなメッセージが書かれています。