どんなことをやらかしたにせよ、法廷における被告人は、大抵の場合、大人しくしているものです。
それが(アメリカの)刑事裁判であれば、常識外れの態度を取っていると、陪審員たちに対する印象も悪くなります。
しかし、中にはそんな常識などクソくらえという者がいあるのです。
今回は、普通ではありえない被告人たちの話をご紹介します。
〈originally posted on February 1,2020〉
1 マリファナ所持容疑の裁判でマリファナを吸う被告
2020年1月、米国テネシー州に住む、スペンサー・アラン・ボストン(20)という男が、マリファナ所持の容疑で逮捕された後、裁判のために法廷に現れました。
普通の被告人であれば、法廷の中で、わざわざ自分の印象を悪くするような行動は取らないでしょう。
しかし、罪状認否を行う段階になって、ボストンは妙な行動に出始めました。
彼はまず、マリファナの合法化について、自らの考えを熱弁したのです。
そして、ひとしきり喋った後、服のポケットからマリファナたばこを取り出すと、それに火を付けて吸い始めました。
常識外れのこの行動に対し、法廷内にいる人たちは、驚きのあまり、しばし無反応だったとか。
煙が徐々に拡散していく中、ようやく警備員がボストンを外へ連れ出しました。
マリファナ所持の罪状認否で、マリファナたばこに火を付けるという、いかにも狂った行動を目の当たりにした傍聴席からは、かすかに笑い声が。
法廷にいた郡保安官のロバート・ライアンは、
「20年間この仕事をしているが、こんな奇妙な光景を見たのは初めてだ」
とコメントしています。
2 「セクハラするにはブサイクすぎる」と反論した被告
2011年、ニューヨークのブルックリンで、不動産会社に勤務していたプリシラ・アゴスト(当時23歳)という女性は、上司や同僚からの14ヶ月に及ぶセクハラに耐えきれず、経営者を含む3人を訴えました。
彼女が同性愛者であるということも、嫌がらせを受けていた一因になっていると考えられます。
セクハラ行為は、言葉による侮辱などの他に、直接体に触れるようなものもあったとか。
取材に対し、彼女は、自分が訴訟を起こすことで、同様の被害に苦しんでいる女性たちにも立ち上がってほしいと語りました。
この訴えに対し、被告人の一人である、当該会社の女性オーナーは、反論として次のように述べています。
「誰が彼女を触るっていうの?どう考えてもブサイクじゃない」
「彼女、仕事が嫌になったから、セクハラの話をでっち上げたのよ」
セクハラで訴えられた被告が、原告のブサイクさを理由に、容疑を否認するというのは、かなりイカれていると言わざるをえません。
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3 実刑を食らったまま忘れ去られた被告
1999年、米国ミズーリ州のセントルイスで、コーネリアス・アンダーソン(当時23歳)という男が、ファストフード店のバーガーキングで強盗事件を起こしました。
翌年行われた裁判の結果、彼は、懲役13年の刑に服することに。
人生のうち、10年以上を塀の内側で過ごすというのは、自業自得とはいえ、やはり重い刑罰でしょう。
判決を受けた後のアンダーソンは、自分が刑務所に収監されるのを待つだけ。
彼は待ちました。
ただひたすら、待ったのです。
担当弁護士に、収監の日はいつなのか、と聞いたりもしました。
しかし、いくら待っても、誰も彼を刑務所に連れていくことは無かったのです。
アンダーソンは、懲役刑を食らったのに、収監されないまま、完全にその存在を忘れ去られていました。
これは、果たしてラッキーなのか、それとも、悲しむべきなのか。
誰も自分のところに来ないので、アンダーソンは、逃げも隠れもせず、とりあえず建設関係のビジネスを開始。
その後、ビジネスは成功を収め、マイホームを購入し、結婚して、離婚して、再婚して、3人の子供をもうけました。
37歳のときにはフットボール・チームのコーチを務め、また、教会でのボランティア活動にも参加。
彼は、ごく普通の一般市民として生活していました。
ところが、2013年7月、アンダーソンの本来の刑期が終わった後、ミズーリ州の役員が、ようやく彼の存在に気づいたのです。
ある朝、8人の保安官がアンダーソンの家を訪れ、彼をサウスイースト矯正センターへと連れて行きました。
もう収監されることなど無いと信じていた彼にとって、これは、絶望的な不意打ちだったことでしょう。
しかし、運命はそこまで残酷ではありませんでした。
彼の弁護士が異議を申し立てた結果、裁判所のテリー・リン・ブラウン判事は、アンダーソンに対し、
「君は、父親としても、夫としても、また、ミズーリ州の納税者としても、良き人間であり続けている」
「これらの事実は、君が今や、善良な市民に生まれ変わっていると信じさせるに十分である」
と述べ、アンダーソンを釈放したのです。
自由の身となった彼は、3歳の娘を腕に抱きかかえ、親戚縁者が涙して喜ぶ中、法廷を後にしました。