同じようなことはおそらく二度と起きないであろうと思われる大惨事をご紹介します。
地震などの天災は、まず回避することは出来ません。
緊急地震速報は、確かに無いよりはマシですが、これによって地震そのものから逃れるのは不可能です。
天災はいつ起きるかが分からないので厄介ですが、「何が」起きるかはある程度予想が付くので、予め必要な準備しておくことはできます。
一方、いつ起きるか分からず、どんな被害をもたらすのかも予想しにくいのが、人災です。
人災は、それに対して備えておくということが難しいため、災害が発生すると多くの犠牲者を生みかねません。
〈originally posted on March 12,2018〉
1 ロンドンで一万人以上の命を奪った霧
1952年、例年に無く厳しい寒さに襲われていたロンドンで、通常では見られない珍しい霧が立ち込めました。
黄色や緑色、黒色などの色が付いて見える非常に濃い霧で、家庭や工場で燃やされた石炭から出た煙が、特殊な気象条件と合わさることでスモッグを発生させたと考えられています。
日中でも大幅に視界が制限され、1メートル以上先は何も見えない状態だったとか。
早い話、目隠しをされているのと同じようなものです。
ロンドンの住人がいくら霧に慣れているとはいえ、この状況ではまともに外を出歩くのもままならず、車の運転もほぼ不可能。
電車は辛うじて運行していましたが、信号が役に立たないので、線路の上に小さな爆発物を置くという措置が取られていました。
電車が通過すると爆発音が鳴り、それが信号の代わりになるのです。
このスモッグは5日間続き、その影響で命を落とした人の数は、約1万2千人に上るとされています。
2 消火活動のデモンストレーションで焼死
イングランド南東部ケント州のジリンガムでは、毎年消防隊員が消火活動のデモンストレーションを行う催し物があります。
実際に火事を起こすために小さな木造の家が作られ、そこに火が放たれるのです。
また、消火活動には一般の人も参加が可能。
1929年7月11日、10歳から14歳までの少年9人がこの催し物に参加しました。
全体の流れは次の通り。
まず、少年たちと消防隊員6人が家の3階にいると、1階から煙が発生。
別の消防隊員が梯子とロープを使って3階にいる人たちを全員救助。
その後、家全体に火が回ったところで、放水により鎮火。
本来なら家に火を付けるのは、全員が建物から出たのを確認してからなのですが、この日は何かの手違いによって、1階から煙を発生させる段階で既に火が放たれてしまったのです。
3階にいた少年と隊員の全員が、予定外の火の手に対処することが出来ず、一気に炎に飲み込まれました。
この不幸な事故において最も不気味なのは、この様子を見ていた見物人たちの反応です。
彼らの目には、炎に包まれた人間の姿がハッキリ映っていましたが、まさか本物の人間であるとは誰も考えず、ダミー人形が燃えていると思い込んで、拍手喝采していました。
このとき、それがデモンストレーションなどではなく、本当の火事だと把握していたのは、血相を変えて放水を行っていた消防隊員だけです。
結局この事故は、15人の犠牲者を出し、拍手をしていた見物人にはトラウマを残しました。
3 円形闘技場の崩壊
現代ではまず考えられない珍しい事故の例を探すと、古くはローマ時代にまで遡ります。
ティベリウス皇帝の治世では、剣闘士たちが闘技場で闘うのを禁じていましたが、それが紀元27年になって解禁されました。
このことを受けて、フィデナエという都市にさっそく円形闘技場が建設されます。
アティリウスという男が工事を引受けたのですが、低予算かつ突貫工事で建てられた闘技場は安全面で深刻な問題を抱えていました。
そして、そんなことは微塵も知らない観客が約5万人も客席を埋め尽くした直後、闘技場が一気に崩壊。
この事故で、約2万人が亡くなりました。
命がけで闘う男たちを観に来ていながら、実は観客自身が命を危険にさらしていたのです。
その後、元老院によっていくつかのルールが定められ、一定の資力を持つ者しか闘技大会を主宰できなくなり、また、闘技場建設における安全基準も設けられました。
ちなみに、工事を担当したアティリウスは追放されています。
4 勘違いから起きた惨事
1902年9月19日、米国アラバマ州バーミンガムにあるシャイロー・バプテスト教会で講話が行われたとき、約2千人もの人々が訪れました。
建てられてから間もないレンガ造りの教会で、ためになる話を聞いたはずなのに、その直後、空いた座席を巡るささいなことから口論を始める者が現れます。
このとき、その場にいた誰かが、「ファイト!」と叫んだことで状況が一変しました。
多くの人がその言葉を「ファイア!」と聞き間違え、火事が起きたものと勘違いして、一斉に教会から逃げ出そうとしたのです。
ところが、講話が行われた部屋から外に出るには、狭くて急な長い階段を下りて行かねばならず、しかも途中に踊り場はありません。
そのたった一つの階段に一気に人が押し寄せたわけですから、当然のごとく将棋倒しが起こります。
その結果、115人の命が失われました。
何より不思議なのは、この大惨事が起きたとき、火事も殴り合いも一切無かったということなのです。
5 寝室に忍び寄る有毒ガス
1984年12月2日深夜、インド中部のボーパールでは、数万人の人々が、眠りながら「死のガス」を吸い続けていました。
地元の化学工場から、極めて毒性の強い「イソシアン酸メチル」が流れ出し、それが風に乗って街中を覆いつつあったのです。
このガスを吸ってしまった人々に現れた主な症状は、激しい咳や目の痒み、息苦しさなど。
化学工場で何らかの事故が起きたと悟った人たちは、パニックになりながらも工場から少しでも離れようとして逃げ出します。
しかし、走って呼吸が荒くなるにつれてますます有毒ガスを吸い込むという皮肉な結果に。
ガスが漏れ出してから1日と経たないうちに、、約3800人が亡くなりました。
その後も死亡者の数は増え続け、最終的には1万6千人を超えたとされていますが、数が多すぎて正確に把握できていません。
また、健康被害に遭った人は約60万人もいたそうです。
工場で起きたものとしては史上最悪とも言われるこの事故の直接の原因については、タンク内に入り込んだ水が化学反応を引き起こしたことで、タンクの内圧が異常に高くなった結果、有毒物質が吹き出したと考えられています。
ただ、何故タンクに水が入ったのかという点に関しては、バルブの欠陥が原因であるとする見方が有力ですが、他の見解もあり、いまだに定まっていません。
6 ビールの大洪水
1814年10月17日、イギリスのロンドンにあるビール醸造所から、大量のビールが流れ出すという前代未聞の事故が発生しました。
合計約61万リットルのビールが蓄えられたタンクが破裂し、それがさらに他の複数のタンクの破裂を引き起こしたことで、147万リットルものビールが街に流れ出したのです。
ビールの激流は、波の高さが5メートル近くもあり、付近の家を破壊しつつ、アパートの地下などへと流れ込んで行きました。
倒壊した建物の下敷きになったり、ビールの海に溺れたりして、少なくとも8人が亡くなったとされています。
ビールの洪水が襲ったエリアは主に貧民街で、ある少女は、母親と紅茶を飲んでいる最中に被害に遭って死亡しました。
誰も経験したことの無い災害の話は世間の耳目を集め、多くの野次馬がこの地を訪れる結果を招きます。
しかし、彼らの中に、通りに溢れたビールをポットに入れるような浅ましいことをする者は皆無で、また、瓦礫の下から助けを求める人の声を聞き逃さないように、極めて静かに現場を見守っていたとか。
その後、醸造所を所有していた会社は裁判にかけられますが、意外なことにこの大事故は、不可抗力による一種の「天災」とみなされ、会社は責任を免れました。