謎が多すぎて考え出すとキリがない事件の数々をご紹介します。
一般的に、難事件と呼ばれるものは、真犯人を割り出して逮捕に至るまでにかなりの困難を伴います。
ただ、その事件において何が起こったのかを説明することはそれほど難しくないでしょう。
しかし、場合によってはその説明すら叶わず、何が起きているのかよく分からないという「怪事件」もあるのです。
〈originally posted on January 21,2018〉
1 学校に出没するドッペルゲンガー
自分の分身である「ドッペルゲンガー」が目撃される、という不気味な体験をしたことのある人は滅多にいないでしょう。
しかし、自分のドッペルゲンガーが現れるだけでなく、それによって人生まで狂わされた稀有な人物が存在しました。
1845年、ラトビア共和国でフランス語の教師をしていたエミリー・サーゲイの元に、彼女のドッペルゲンガーがたびたび出現するようになります。
学校で昼食を摂っている時や授業の準備中など、ごく日常的なことを行っていると、彼女のそばに分身が立っているのです。
あるときには、講堂に集まっていた約40人の生徒たちが、窓の外にいるサーゲイの姿(=本物)を視界に捉えると同時に、自分たちのそばで椅子に座っているサーゲイ(=分身)を見ていることもあったとか。
彼女のドッペルゲンガーは何度となく目撃されていましたが、奇妙なことに、彼女自身は分身を見たことは無かったそうです。
目撃者の話によると、ドッペルゲンガーが現れるとサーゲイは決まって疲労に満ちた感じになり、分身が消え去ると彼女は再び元気を取り戻していたとか。
いつ現れて何をするかも分からない厄介な分身のせいで、サーゲイは20回以上も転勤するハメに。
このドッペルゲンガーの正体が何なのかは、遂に判明しませんでした。
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2 ブルガリア旅行の悲劇
2014年6月30日、ドイツ人学生のラーズ・ミタンクは、休暇を過ごすために複数の友人とブルガリアを訪れました。
人気の観光地であるゴールデン・サンズの魅力を存分に満喫していたのですが、ドイツに帰国する前日になって、トラブルが発生します。
フットボール・チームの話題が元で4人の男と口論になり、遂には殴り合いに発展。
ミタンクは、殴られたときの衝撃で鼓膜が破れました。
地元の医師に診てもらったところ、抗生物質を処方され、帰国を数日間延ばすように勧められます。
ミタンクの友人は予定通り飛行機に乗りましたが、彼だけは仕方なくブルガリアに留まり、安いホテルに宿泊することに。
そしてこの時から、ミタンクの行動がおかしくなり始めます。
怪しげな4人の男から後を付けられ、常に監視されていると感じていたミタンクは、母親に電話をしてその恐怖を伝えるほどに怯えていました。
そして、ようやく帰国できるようになった7月8日、彼は空港内で女性に道を尋ね、診療所へ向かいます。
バックパックを背負って医務室に入り、彼がそこで診察を受けていると、突然ドアが開き、建設作業員の格好をした男が入ってきました。
その瞬間、ミタンクはにわかに焦りはじめ、医師に向かって何やら呟いたかと思うと、荷物を置いたまま部屋を飛び出し、全速力で駆け出したのです。
異様な雰囲気で彼が走り去って行くさまは、空港の監視カメラに映っています。
その後、駐車場のフェンスを飛び越えて、林の方角へ行くところが目撃されたのを最後に、消息不明となりました。
自分のことを監視していると彼が感じていた男たちが、口論になった相手なのかは定かではありません。
しかし、誰かに付け狙われていると信じていたなら、空港まで来ていながらなぜ飛行機に乗らなかったのか。
彼の身に何があったのかは判明しておらず、未だに安否も確認されていません。
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3 人が消える灯台
1900年12月7日、スコットランド領フラナン諸島にある灯台に、灯台守として2週間のスケジュールをこなすべく3人の男たちがやって来ます。
灯台は、本土との間に通信手段が無く、完全に孤立した状態で、時には濃い霧によって大幅に視界が遮られることもありました。
クリスマスの翌日、補給物資を積んだ「ヘスペラス号」が、予定より少し遅れて島に到着。
乗組員の一人であるジョセフ・ムーアが島に降り立ち、灯台の中に入ってみると、奇妙なことに気づきました。
人の気配が完全に消えていたのです。
火やランプなどは数日間は使われていない様子で、また、全ての時計の針が止まっていました。
テーブルの上には食事が用意されていましたが、ほぼ手付かずのまま。
そして、3人が着ていたコートのうち、何故か一着だけが残っていたのです。
彼らは決して経験が浅いわけではないので、コート無しで外に出ることの危険性は熟知していたはず。
さらに言えば、灯台に一人も残さずに全員で外に出ること自体が規則に反しています。
彼らにどのような運命が訪れたのかを知る唯一の手掛かりは、発見された一冊の日誌。
トーマス・マーシャルによって書かれたその記録の一部を抜粋すると……。
12月12日
経験したことのない嵐が灯台を直撃した。
ジェイムズ・デュカットはイライラしている。
霧笛を鳴らしながら船が通過していく。
午後になり、デュカットは落ち着いてきた。
ドナルド・マッカーサーはずっと泣いていた。
12月13日
まだ嵐は続いている。
とにかく祈るしかない。
12月14日
(記述なし)
12月15日
嵐は止み、波もおさまった。
神は我々を見捨てなかった。
ここで日誌は終わっていますが、専門的な見地から判断すると、この日誌にはやや不自然な点があるのです。
「デュカット」や「マッカーサー」というのは、灯台守のメンバーの名前ですが、緊急時とはいえ個人の感情面についてわざわざ日誌に記述することは普通はありません。
さらに、3人をよく知る人物によれば、彼らは「祈る」などという言葉を使うような性格ではないとのこと。
そして最も不可解なのが、この日誌が記録されている期間、この辺りを嵐が通過したという報告は全く無いということなのです。
嵐が無かったのだとすれば、なぜ日誌に嵐に関する記述があるのか。
嵐が来ていたとしても、日誌によれば、ヘスペラス号が到着する10日も前に嵐は止んでいたはず。
そもそも、日誌を書いたのは本当にトーマス・マーシャルなのか。
多くの謎を残したまま、この怪事件の真実が明らかになることはありませんでした。