誰も解けなかった謎が、一枚の写真で解決されてしまった事例をご紹介します。
事件にせよ事故にせよ、不可解な謎が含まれている場合は少なくありません。
そういう場合、謎を解くための手がかりを出来るだけ多く集めねばならないのが普通です。
しかし場合によっては、一枚の写真がすべてを解決してしまうこともあるのです。
〈originally posted on September 20,2016〉
1 貯水池に沈んだ男性
1993年6月13日、ニューヨーク州のティティカス貯水池で男性の溺死体が発見されました。
男性が身につけていたバックパックの中には、総重量約17kgの石がギッシリ。
身分証明書の類は発見できず、身元を知る上で唯一の手掛かりとなったのが、その男性が持っていた一枚の写真でした。
それは、建物をバックにして祖父が孫を抱きかかえていると思われる、ごくありふれたもの。
警察は、その写真の中の子どもこそが被害者の男性に違いないと考えたのですが、それ以外の情報は何も得られず、この事件はやがて迷宮入りに。
しかし、事件から15年が経った2008年、写真に写っている街灯がニューヨーク州ロングアイランドにあるものだと気づいた人がいました。
それを手掛かりにしてさらに調査すると、写真の建物はベルポートにある教会の講堂だということも特定されたのです。
そして、教会の向かい側の土地は元々ブックレス家のものだったことが判明。
さらに、歯の治療履歴から、問題の遺体はアンドリュー・ブックレスのものだと確定しました。
このことをブックレス家の遺族に伝えたところ、彼らの話から、写真に写っているのはアンドリューとその祖父で間違いないことが明らかに。
アンドリューは1993年から行方が分からなくなっていたのですが、彼は何ヶ月にも渡って自宅を空けることが多かったので、親族の誰も捜索願いを出していませんでした。
これで、謎の溺死体の身元は明らかとなりましたが、果たして彼の死は自殺によるものなのか、あるいは他殺なのかについては未だに謎のままです。
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2 世界で最初に写真に写った人
写真が発明されたのは19世紀初頭です。
当時の撮影方法に関して今とは大きく異なっていたのが、感光に要する時間。
今のカメラのようにシャッターを押した瞬間に写真が撮れるのではなく、シャッターが開いたままの状態で数分間待たなければなりませんでした。
ということは、人通りの多い町中で撮影しても、歩いている人は一切フィルムには写らず、建物など静止している物だけが写真として残るのです。
では、その時代に世界で初めて写真に写った人というのは、一体どんな状況で撮られたのか。
この疑問に答えを出したのが、パリの町並みを撮影した一枚の写真です。
(ウィキペディアより)
この写真の撮影に要した時間(すなわち、シャッターが開いていた時間)は約7分間。
7分間もじっとしている人間など普通はいませんから、人の姿は写っていません。
一人を除いては。
非常に気づきにくいのですが、写真の左下を拡大すると…。
片足を何かの上に乗せている人物が見えます。
この男性(女性?)こそが、世界で最初に写真に写った人とされているのですが、彼が一体何者なのかは何一つ分かっていません。
それにしても、なぜ彼は片足を上げたまま7分間も固まっていたのか。
これについては諸説あり、靴を磨いてもらっていたという説もあれば、単に給水栓に足を乗せていただけという説もあります。
仮に後者が正解だとすると、相当に孤独な人生を送っていた人といってよさそうですね。
3 消えた女性飛行士の謎
は、アメリカ人の飛行士で、女性で初めて大西洋の単独横断飛行に成功したことで有名です。
1937年7月2日、赤道上世界一周飛行に挑戦している最中、彼女は南太平洋上で消息を絶ちました。
イアハートが乗っていた機体(ロッキード・エレクトラ)も発見されず、彼女が突然消えてしまった原因や、その後どうなったのかは大きな謎とされたのです。
これについては様々な憶測が流れ、中には日本軍の捕虜になったのではないかとする説もありました。
ところが、2014年、キリバス西部のニクマロロ島で、飛行機の機体に使われるアルミニウム板の破片が発見されたのです。
もちろん、これだけではこの破片がロッキード・エレクトラのものであるとは断定できません。
しかし、イアハートが途中でマイアミに立ち寄ったとき、機体を修理するために彼女はアルミニウム板を部材として使用していたのです。
さらに、修理後の機体の外観は写真に収められ、その写真も保管されていました。
見つかった破片とその写真とを比較したところ、やはりニクマロロ島で発見されたアルミニウム板はロッキード・エレクトラのものだと分かったのです。
現在、アメリア・イアハート失踪事件の真相としては、彼女は太平洋上で墜落事故を起こしたのではなく、燃料不足からニクマロロ島への緊急着陸を余儀なくされ、そのまま無人島生活を続けて生涯を終えたのではないかという見方が有力になっています。
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4 「ウェムの亡霊」の正体
、イングランドのシュロップシャーにある小さな街ウェムでビル火災が発生しました。
火の手が上がったのは、築90年の「ウェム・タウン・ホール」というビル。
奇跡的に怪我人は一人も出なかったようです。
このとき、アマチュア写真家のトニー・オラヒリーという男性が、全焼したビルの様子を写真に収めていました。
その後、写真を現像してみると、ビルの入口付近でカメラの方をじっと睨んでいる小さな女の子の姿が……。
トニー本人によれば、撮影時には女の子の存在には全く気づかなかったとか。
この写真を専門家に鑑定してもらったところ、煙や光の加減で人が立っているように見えるだけではないかとの見解が得られました。
しかし、地元住民の多くにとってこの謎めいた少女は、1677年にウェムの街で失火により大火災を引き起こしたジェイン・チャーン(当時14歳)の亡霊であると信じられるようになっていたのです。
果たして、本当に写真の少女は300年の時を超えて現れた亡霊なのか……。
2010年、一枚の写真から遂にこの謎が解明されました。
その「写真」とは、地元紙に掲載された絵葉書の写真で、その絵葉書には1922年当時のウェムの街を撮影した写真が印刷されていたのです。
新聞の読者の一人がその写真を見たとき、妙なことに気づきました。
絵葉書の写真の隅に写っている少女の外見が、「ウェムの亡霊」の少女と完全に一致していたのです。
1922年に撮られた写真に写っている少女が、どうやったら1995年に撮られた写真に同じ姿のまま写り込むことができるのか。
この疑問に対する最も現実的な(ある意味つまらない)答えは、ウェム・タウン・ホールを撮ったトニー自身が、その写真に絵葉書の少女を切り取って張り付けたというものです。
残念ながら、この答えが出される5年前の2005年にトニーは亡くなっていたので、本人に事の真相を確かめる術はありませんでした。