芸能人やスポーツ選手にとって、ファンの存在は本来有り難いもののはず。
しかし、ファンの中には時々普通では考えられない行動に出る者がいます。
東北の某アイドルグループのメンバーを襲った男たちもそれに含まれるでしょう。
彼らのせいでグループ全体が活動困難に陥っているため、運営会社は男たちに損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。
こういうファンは迷惑以外の何ものでもないですが、まれに、普通でない行動が良い結果をもたらすこともあったりするのです。
〈originally posted on July 9,2019〉
1 選手の登場曲を決めていたファン
格闘技の大会で、選手がリングに上がるときに流れる曲は、その選手にとっても、ファンにとっても大事な要素でしょう。
よって、曲のチョイスはかなり慎重になされねばなりません。
力と力がぶつかり合う激闘が繰り広げられる直前に、思わずしんみりしてしまうようなバラードは、絶対に合わないのです。
普通は、選手本人が希望する曲が流れるわけですが、おそらく唯一と言っていい例外があります。
アメリカの総合格闘技大会であるUFCで人気の選手だったローリー・マクドナルドがその例外です。
彼がリングに登場するときに流れる曲は、彼が決めていたのではありません。
マクドナルド自身は、スタッフの誰かが決めているのだろうと思い、特に気に留めなかったのですが、あるとき彼はふと疑問に感じたのです。
俺の曲は一体誰が決めているんだ、と。
結論から言えば、それは彼の熱烈なファンでした。
では、単なる一ファンにどうしてそんなことができたのか。
そのきっかけは、マクドナルドが自分の電話番号を変えたこと。
その際、古い番号は、後にジェイソンという名の男性が使うようになったのです。
そして、マクドナルドの関係者が、番号が変わったことを知らずに古い番号に電話し、登場曲について相談。
偶然、ジェイソンはマクドナルドの大ファンで、彼はそのままマクドナルド本人になりすまし、試合がある度に電話を受けては、登場曲を勝手に決めていたのです。
これが数年も続いていたというから驚き。
このことが発覚した後、ジェイソンはマクドナルドと対面し、素直に謝罪したそうです。
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2 銅像をゴミ置き場にする野球ファン
2011年、アメリカのテキサス・レンジャーズ・スタジアムで、一人の観客が命を落とす事故がありました。
彼は、息子のためにホームランボールを取ろうとしたところ、転落して死亡したのです。
この痛ましい事故の後、球場の外に、この親子の銅像が建てられました。
野球と息子を愛した父親を偲んでこういうことがなされるのは、なんとも良い話です。
そしてその良い話をぶち壊したのが、他ならぬ野球ファンたち。
球場に入る際、観客たちは、自分が飲み干したビールの空き缶などを、銅像の台座に置いていきました。
おそらく彼らの頭の中では、「お、何だこんなところにちょうどイイ感じにゴミ置き場があるじゃねーか」という思考が展開していたのでしょう。
悲惨な事故のメモリアルとして存在する銅像に、花を手向けるどころか、その周りを空き缶や空き瓶で埋めていく野球ファン。
その父親を亡くした息子にとっては、地獄絵図と言えるかもしれません。
3 便器を放り投げるサッカーファン
テンションの上がったファンは、とにかく物を投げるのが好きです。
かつて、阪神タイガースが優勝したとき、暴走した阪神ファンがKFCのカーネル・サンダース人形を持ち去って川に放り投げたのは有名な話。
川に人形を投げ込むだけなら人が死ぬことは無いですが、投げる物によってはそういうこともありえます。
2014年、ブラジルで行われたサッカーの試合で、互いのチームのファンどうしが口論になり、観客席で小競り合いが発生。
その最中、ファンの一人がトイレに走り、そこから便器を取り外して舞い戻ったかと思うといきなり便器を放り投げたのです。
その直後、便器の直撃を受けたファンが重傷を負い、それが原因で亡くなりました。
ファンどうしの争いというのはよく起こることですが、いくら頭にきたからといって、便器を投げつけるのは尋常ではありません。
4 ジョン・レノンに独占インタビューした少年
音楽に詳しくない、あるいは音楽に興味が無い場合でも、知らない人はまずいないと思われるのが、ジョン・レノンです。
ビートルズの成功によって誰からも尊敬される存在になった彼は、その状態にも次第に飽きてしまい、1960年代から1970年代にかけてはあまり表には出ず、恋人のオノ・ヨーコと気ままな生活を楽しんでいました。
そんなわけですから、芸能記者が彼にインタビューするのは至難の業。
しかし、この時期のレノンに堂々とインタビューを行った人物がいます。
彼の名前はジェリー・レヴィタン。
芸能記者ではありません。
カナダ在住で、当時まだ14歳の、熱狂的なビートルズファンの一人です。
1969年、彼の地元のトロント市内のホテルに、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが泊まっていることを知ったレヴィタンは、レノンに会うために一計を案じます。
首からカメラをぶら下げ、レノンが宿泊している部屋を訪れると、意を決してノック数回。
レノンがドアを開けて顔を出すと、レヴィタンはすかさずサインをもらい、後でインタビューさせてくれないかと切り出しました。
これに対し、レノンはあっさり承諾。
実際にレヴィタンは30分~40分のインタビューを行いました。
レノンは14歳のファンと一体どんなことを話したのか。
残念ながら、その詳しい内容は公にはされていません。
一つだけ確かなことは、レヴィタン少年の大胆さが無ければ、このインタビューは絶対に実現していなかったといことです。
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5 未完成のゲームを傑作に仕上げたファンたち
今の時代に、「未完成」というべきクオリティのゲームを出せばどうなるか。
SNSで叩かれ、レビューサイトで酷評され、量販店では値崩れを起こす。
それだけならまだしも、メーカーには、クオリティを上げるために何度もアップデートを行わねばならないという運命が待っています。
『ヴァンパイア:ザ・マスカレード ブラッドライン』というゲームもそんな未完成ゲームの一つです。
これは、『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』シリーズの二作目で、そのストーリーの面白さから多くの熱狂的なファンがいました。
このゲームの制作が始まったのは2001年。
作業は難航し、ゲーム内の様々な要素が欠落した状態が続きました。
2004年にようやく発売にこぎつけたものの、ゲームの状態はどう考えても未完成品。
さらに、アップデートを繰り返すことでゲームのクオリティを上げることもできません。
スタッフにそんな余力は無かったのです。
しかし、このゲームは運良く救われました。
この欠陥だらけのゲームを救ったのは、ファンたちです。
10年以上にわたり、ファンたちがアップデートを繰り返すことでゲームの完成度を上げていきました。
開発者たちへのインタビュー記事などを読み、もともと作られる予定だったマップなども、ファンが一つ一つ構築していったのです。
ファンたちの並々ならぬ努力によって「完全版」となった『ブラッドライン』は、現在でもダークファンタジーRPGの傑作とされています。