推理小説などでは、物語の最後のどんでん返しとして、ある登場人物が、実は存在していなかった、という「オチ」が用意されていることがあります。
例えば、その人物が、ずっと以前にすでに亡くなっている人だったり。
つまり、幽霊だったというオチです。
現実の世界では、そのような事は無いわけですが、しかし、それと似たような話ならあります。
今回は、世間の注目を集めた人物でありながら、実はそんな人、最初から存在していなかったという、ちょっと不気味なお話をご紹介します。
〈originally posted on October 3,2015〉
1 壮絶な人生を送ったトニー
1993年、『過酷な運命:ある少年の勝利の物語(A Rock and a Hard Place:One Boy’s Triumphant Story)』という自叙伝が出版されました。
その本は、アンソニー・ジョンソン(通称トニー)という15歳の少年が経験したあまりに過酷な人生を綴ったもの。
トニーは幼い頃に両親から激しい虐待に遭い、それに耐え切れず家出をした後は、ヴィッキー・ジョンソンという、ソーシャルワーカーをしていた女性に養子として引き取られます。
しかし、その後もトニーはエイズや脳卒中に苦しんだり、手術で足を切断するはめになったりと、困難が次々と立ちはだかったのです。
この本は非常に大きな反響を呼び、ベストセラーになった上、TVの特番でも取り上げられました。
しかし、話題が大きくなるにつれ、読者や視聴者の間から、ある疑問が浮上し始めたのです。
それは、
というもの。
これに対しヴィッキーは、トニーは病気のため、インタビューなどで人前には出られないのだと説明していました。
しかし、ある人がヴィッキーに電話をかけた際、トニー本人とも会話をさせてもらい、その会話をレコーダーに録音していたのですが、それを専門家に分析してもらったところ、衝撃の事実が発覚。
何と、電話のトニーの声は、ヴィッキー本人が声色を変えて出していたのです。
窮地に追い詰められたヴィッキーは、2006年、あるニュース番組でトニーの写真を公開します。
しかし、これが完全に墓穴となってしまいました。
それを見た視聴者の一人が、写真に写っている男の子は、ヴィッキーが学校で教師をしていた時の「スティーブ」という名の教え子であると見破ったのです。
結局、多くの人々の感動を呼んだ「トニー少年」の自叙伝は、
全て作り話
だったのでした。
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2 イラクで捕虜となったジョン・アダム
2005年、「ムジャーヒディーン部隊」と名乗る軍事組織が、アメリカ軍の兵士を捕虜にしているショッキングな写真をウェブサイトに掲載しました。
その中で、黒人の兵士が壁に向かって座らされ、両手を後ろ手に縛られて、銃口を頭に突き付けられていたのです。
そのサイトの説明によれば、彼らはイラクに拠点を置く集団で、アメリカで服役しているイラクの同胞を何人か開放することを要求しており、72時間位内にそれが実現されなければ、
ジョン・アダム
という名のその兵士を殺すということでした。
ところが、アメリカ軍は最初から彼らの声明に疑問を抱いていました。
というのも、イラクでアメリカ軍の兵士が捕虜になれば、それを軍が把握していないはずが無いわけですが、行方の分からなくなった兵士についての報告など全く無かったのです。
さらに、兵士の体が妙に硬直したような印象があるなど、その写真自体にも不自然な点が見られました。
その後、これも全て「でっち上げ」だったことが判明したのですが、話はこれで終わりません。
実は、その写真が偽物であると見破ったのは、アメリカ軍ではなく、とある玩具製造メーカーの社員だったのです。
気付いたきっかけは、写真の中の「ジョン・アダム」の姿が、その会社で製造しているアクション・フィギュアにそっくりだったこと。
結局、その謎の軍事組織(?)は、兵士のフィギュアの頭部にモデルガンを突き付けただけの写真を掲載し、アメリカを脅迫していたのです。
3 悲劇の画家ナット・テイト
1998年、あるイギリス人の作家が、『ナット・テイト:アメリカ人画家(1928-1960)Nat Tate:An American Artist(1928-1960)』という伝記を出版しました。
その本によると、ナット・テイトは1950年代にニューヨークで活動していた印象派の画家で、それなりに成功を収めたものの、うつ病やアルコール中毒に苦しんでいたとのこと。
ある時、彼は自分の作品に強い嫌悪感を抱くようになり、過去に描いた絵の99%を廃棄してしまったのです。
そして、1960年に入水自殺。
その本の中にはわずかに残った彼の作品も数点掲載されています。
しかし…。
そうです。これも全てでっち上げでした。
ナット・テイトなどという画家は存在せず、本に掲載された絵画も、著者本人が描いたものだったのです。
しかもこの著者は、これが「ダマシ」であると見破られないために巧妙な手段を使いました。
イギリス人なら誰もが知っている超有名ミュージシャンであるデヴィッド・ボウイに協力してもらい、彼の主催で出版記念パーティーを開いたのです。
そこには美術界の著名な専門家なども多数出席していましたが、誰もナット・テイトなどという画家のことを知っているはずがありません。
そして、パーティーから1週間後、全てウソだったというネタばらしがなされ、その専門家たちは赤っ恥をかくハメに。
憎いのは、そのパーティーが開かれたのは、4月1日のエイプリルフールだったのです。
4 ヘロイン中毒の少年ジミー
1980年9月28日、世界的に有名なアメリカの新聞である「ワシントンポスト」に、
「ジミーの世界」
という記事が掲載されました。
ジャネット・クックという新人ジャーナリストが書いたもので、ジミーという8歳のアフリカ系アメリカ人の少年が、ヘロイン中毒で苦しんでいるというのがその内容。
この記事は非常に多くの人々に衝撃を与え、当時ワシントンDC市長だったマリオン・バリーは、警察の協力の下、ジミーを見つけて彼に治療を受けさせようと計画したほどでした。
翌年、ジャネット・クックはこの記事によって、ジャーナリストとして最も栄誉のある賞、「ピューリツァー賞」を受賞したのです。
ところが…。
警察の捜査能力をもってしても、ジミーの所在はつかめなかったことから、この記事の信ぴょう性に疑いの眼差しが向けられ始めました。
そして、ワシントンポストがジャネット・クックについて改めて詳しく調べてみると、彼女は自分の学歴の多くを詐称しており、しかも彼女自身がジミーと直接会ったことを示す記録が何一つ発見出来なかったのです。
この件について問い詰められたジャネットは、全て作り話だったと白状しました。
その直後、ワシントンポストは紙面に謝罪文を掲載し、ピューリツァー賞の授与は取り消され、ジャネットは報道の世界から完全に干されてしまったのでした…。
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