人気クイズ番組
で起きた大きなスキャンダルの数々をご紹介します。
昔と比べ、最近は一般人どうしが競い合うような素人参加型のクイズ番組がかなり減ってしまいました。
その手の番組ですぐに思い浮かぶのは「アタック25」くらいです。
しかし、この番組も終了してしまいました。
芸能人とは違うごく普通の人が勝ち進んで注目を集めるところが面白いのですが、今の時代、そういうのはあまりウケないのかもしれません。
〈originally posted on September 4,2017〉
1 咳き込む観客
かつて日本でも放送されていた『ミリオネア』という人気クイズ番組があります。
元々は『Who Wants to Be a Millionaire?』というイギリス制作の番組で、ひたすら四択のクイズに答えていき、全問正解すれば100万ポンドが手に入るという夢のような結末が待っています。
2001年、この番組に、普段は陸軍少佐として勤務するチャールズ・イングラムが出場し、見事100万ポンドをゲットしました。
しかし、番組の放送後、イングラムの不正疑惑が浮上。
VTRを見直してみると、彼が答えを選ぶ直前、観客の中に毎回咳をしている者がいたのです。
それは、同じくミリオネアに出場した経験のあるテックウェン・ウィトックという男性。
警察の調べによれば、イングラムは妻とウィトックとの3人で不正に全問正解する計画を練っていました。
彼が問題に答えるとき、必ず問題と選択肢を自分で改めて読み上げ、それを聞いたウィトックが、正解の肢のときに観客席で咳をします。
これにより、イングラムは毎回正解できたというわけ。
しかも、彼がウッカリ不正解の選択肢を選びそうになったとき、ウィトックは思わず「No!」と言っていました。
イングラムは一貫して容疑を否認していましたが、結局優勝の資格を剥奪され、賞金も無し。
おまけに、不正に関わった3人は刑事責任を追及されました。
イングラムはその後、陸軍の職も失うハメになり、2004年に自己破産(翌年には妻も破産)。
現在は、小説を書いたりしながら細々と生活しているようです。
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2 ウォークマン vs ポストイット
最終的に100万ドルを獲得できる『ミリオネア』とは逆に、『ミリオン・ダラー・マネー・ドロップ』という番組では、出場者に対し最初に100万ドルが与えられます。
二人一組で挑戦し、全7問の三択クイズに答えるというシンプルな形式ですが、特徴的なのは、毎回全額を使い切るように所持金を各選択肢に賭ける必要があるという点。
不正解の選択肢に掛けたお金は全て没収です。
一つの選択肢に全額を賭ければハイリスク・ハイリターンとなり、各選択肢に均等に賭ければローリスク・ローリターンとなります。
2010年、ゲイブ・オコイエとブリタニー・メイティというカップルがこのクイズにチャレンジしました。
彼らは調子良く問題に答えていき、88万ドルを持って第5問へ。
その問題は以下のようなものでした。
次の中で、最初に発売されたものはどれか。
・マッキントッシュのパソコン
・ソニーのウォークマン
・ポストイット
彼女の方はウォークマンだと言い張り、彼氏の方はポストイットだと主張。
結局、ウォークマンに8万ドル、ポストイットに80万ドルを賭けました。
ポストイットが正解なら、80万ドルがとりあえず彼らのものになります。
しかし次の瞬間、正解はソニーのウォークマンであると発表され、80万ドルは没収、所持金は8万ドルに激減。
画面にはしばらく天を仰ぐ二人の姿が……。
放送終了後、視聴者からの指摘で、第5問の正解に疑義が生じました。
ソニーのウォークマンが日本で発売されたのが1979年。
ポストイットがアメリカ国内で発売されたのが1980年。
ところが、ポストイットは、1977年からアメリカの幾つかの都市で、試験的に別の名前で販売されていたのです。
ということは……。
どうなるのか?
こういう厄介な事態を生んだ原因は、番組側の説明不足あるいはリサーチ不足と考えるのが妥当でしょう。
しかし、番組プロデューサーは「失われた80万ドル」をオコイエとメイティに返還することは認めず、彼らには再度クイズに挑戦できるチャンスを与えることで手を打ったのです。
ただ、残念ながら、彼らが再挑戦する前に番組自体が低視聴率のために打ち切りになってしまいました。
3 「G」の悲劇
『ホイール・オブ・フォーチュン』は、1975年にアメリカで放送が開始され、現在も続いている長寿クイズ番組。
賞金の書かれたルーレットを回して数種類のクイズに答えていき、一攫千金を目指します。
この番組内で行われるクイズの一つに、ワード・パズルがあります。
これは、わずかなヒントを与えられただけで、正解となる文やフレーズを推測するゲームです。
2012年、このクイズ番組に出場したルネ・デュレットという女性は、順調にクイズに正解し、次にこのワード・パズルに正解すれば4000ドルをゲットできるはずでした。
問題自体は簡単なものだったので、彼女は難なく答えを言い当てます。
ただ、答えの最後の単語である「SWIMMING」を彼女は「スウィミン」と発音したのです。
「スウィミング」ではなく「スウィミン」。
「G」を発音しませんでした。
といっても、英語圏の人であれば、これはごく自然なこと。
少なくとも、彼女の出身地であるフロリダ州では普通です。
しかし、この時の司会者はこのわずかな違いを許しませんでした。
ワード・パズルにおいては、それぞれの文字を正確に発音せねばならないという方針のもと、彼はデュレットの答えを正解とは認めず、次の参加者に解答権を渡したのです。
ラッキーなその女性参加者は、呆然とするデュレットを尻目にいとも容易く正解し、最終的に彼女は45000ドルを手にしました。
一方、「G」を発音しなかっただけで不正解になったデュレットは、4000ドルをゲットし損ね、その場で敗退。
このときの模様がオンエアーされた直後、司会者の厳しすぎる態度にネットが炎上しました。
ただ、デュレット自身は司会者の判断を批判することはなく、番組に対するわだかまりも無いのだそうです。
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4 アメリカ国民を騙し続けたヤラセ番組
1950年代のアメリカでは、クイズ番組が人気の絶頂を迎えていました。
様々な形式のものが制作され、どれも高視聴率を記録。
その中で、視聴率がやや伸び悩んでいる『Twenty One』という番組がありました。
前回の勝者と今回の挑戦者が一騎打ちで繰り広げる頭脳バトルで、各出場者は100以上のカテゴリーの中から出題される問題に答えます。
問題には1~11のポイントが設定されており、高いポイントの問題ほど難易度が高く、先に21ポイントを稼いだ方が勝ちです。
ゲームの構成自体は悪くないものの、ドラマチックな展開に欠けているのがこの番組の問題点でした。
何らかの打開策を探していた番組側は、ハーブ・ステンペルという男に目を付けます。
並外れた記憶力を誇る彼は、自ら番組に応募し、出場資格を得るためのテストで抜群の成績を収めていました。
プロデューサーのダン・エンライトは、直接ステンペルの自宅を訪れて彼にこう告げます。
この時のステンペルには、それがいわゆる「ヤラセ」のことであると察しが付いていましたが、結局その話に乗ってしまいます。
才能も無く、金も無く、冴えない感じの男がクイズ番組で快進撃を続け、大金を手に入れる。
それがエンライトの考えたシナリオであり、ステンペルはそれを演じる「役者」として選ばれたのです。
全てがヤラセであるなどと夢にも思っていない視聴者は、負け知らずのステンペルに熱狂し、視聴率はうなぎのぼり。
ここまではエンライトの思惑通りでしたが、しかしそれも長くは続きませんでした。
挑戦者の歯が立たない王者ステンペルという存在は次第に飽きられ始め、視聴率は低下。
そこでエンライトは新たなヒーローを探し出しました。
それが、コロンビア大学で英語を教えていたチャールズ・ヴァン・ドーレンです。
クイズに関しては凡庸な才能しか無いヴァン・ドーレンを抱き込み、エンライトは彼を「最強の挑戦者」に仕立て上げました。
ステンペルは意図的に問題を間違えるように指示され、一方のヴァン・ドーレンは問題の答えを全て知らされます。
ずっと王座に居座っていたステンペルを、無名の挑戦者が徐々に追い込んでいく展開は、再び視聴者の支持を得ました。
約3ヶ月の間、ヴァン・ドーレンは向かう所敵なしで勝ち続け、獲得した賞金は総額129000ドル。
これは今の貨幣価値で100万ドルを超えていますが、実際に彼がもらったのは、ステンペルと同じ25000ドルだけです。
もはや国民的英雄のような存在になっていたヴァン・ドーレンは、遂には雑誌『TIME』の表紙まで飾りました。
一方、敗北者となったステンペルは、視聴者から完全に忘れ去られた存在に。
そんな彼は、エンライトとの間で交わした約束が反故にされたのをきっかけに、全てを暴露。
その後、番組は放送終了を余儀なくされました。
ちなみに、テレビの歴史に残るこの一大スキャンダルは、1994年に『クイズ・ショウ』というタイトルで映画化されています。