名作と称される映画は、何度観ても新たな感動、新たな発見があります。
しかし、その「新たな発見」は、必ずしも映画の内容をより深く理解するためのものとは限りません。
時には、映画とは全く関係の無い、下らない、下品なギャグであることも。
そういったギャグは、普通に映画を観ていても気づくことは出来ません。
実に巧妙に隠されていることが多いのです。
〈originally posted on March 11,2019〉
1 『ジュラシック・ワールド 炎の王国』
恐竜映画のド定番と言えば、『ジュラシック・ワールド』を抜きにしては語れません。
この映画の舞台となるのは、恐竜たちが棲息するイスラ・ヌブラル島。
冒頭のシーンで、島の映像とともにニュースが流れます。
このとき、画面の下部にはBBCワールドニュースのテロップが流れるのですが、そこで伝えられているのはこんな内容です。
アメリカ合衆国大統領は、「そもそも恐竜なんて実在するのか」と疑問を呈している。
物語の中では、恐竜の存在は人々にとって当たり前となっており、主人公たちは、火山の噴火が起きた島から恐竜を救うために奔走します。
恐竜の存在が大前提となっている舞台設定なのに、大統領が恐竜を否定するのは何とも馬鹿げた話。
実はこれ、トランプ大統領に対する当てこすりなのです。
トランプ大統領は、自分にとって都合の悪いニュースはすぐに「フェイクニュース」だと言って切り捨てていました。
このニューステロップは、そんな大統領の態度を揶揄しているのです。
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2 『スクリーム』
ウェス・クレイヴン監督のホラー映画『スクリーム』は、1996年に公開されたとき、その社会的影響力が非常に大きく、映画を真似たと思われる犯罪が起きたことから物議を醸しました。
この映画のロケ地の一つとして、カリフォルニア州にあるサンタ・ローザ・ハイスクールが選ばれたとき、その撮影許可は特に問題無く得られました。
ところが、撮影が始まる直前になって、脚本を読んだ学校側から一方的にキャンセルされたのです。
何人も人が殺される内容なので、学校のイメージが悪くなると考えられたのでしょう。
このドタキャンに対し、監督のクレイヴンは、粋なやり方で反撃。
映画のクレジットを最後まで根気よく見ていると、
「サンタ・ローザ・ハイスクールの理事会には一切何の感謝も無い」
という文言が現れるのです。
3 『アナと雪の女王』
言わずと知れたディズニーの名作アニメ。
この作品の中で、クリストフというキャラクターが、男は皆自分の鼻くそを食べる、といった(爆弾)発言をするシーンがあります。
ひょっとすると、思い当たる節があるという男性もいるかも知れませんが、男が皆そうだと断定するのは言い過ぎです。
何にせよ 、架空のアニメキャラの言ったことを真に受けて、憤慨する男性はまずいないはず。
しかし、ディズニーとしてはいかなるクレームをも避けたかったのでしょう。
クレジットの最後の最後で次のようなメッセージが出ます。
この映画における、「全ての男は自分の鼻くそを食べる」というクリストフの見解は、彼個人のものであり、ウォルト・ディズニー社および映画会社の見解を必ずしも反映してはいません。また、そのような見解の正しさを表明するものでもありません。
4 『パルプ・フィクション』
映画のクレジットは、ある意味隠れたギャグの宝庫と言えるかも知れません。
1994年に公開された、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』では、ロバート・ルース演じるコーヒーショップのオーナーが強盗に襲われ、頭に銃口を押し付けられるシーンがあります。
そのときオーナーは、次のように必死で命乞いをするのです。
「俺はヒーローなんかじゃない!ただのコーヒーショップ……」
この後、台本では「ただのコーヒーショップのオーナーだ。何でも好きなものを持ってけ!」というセリフが続くのですが、本番では最後まで言い切らないうちに、強盗犯の怒鳴り声でセリフが聞こえなくなります。
これを受けて、クレジットでは、ロバート・ルースの役名は、ただの「コーヒーショップ」となっているのです。
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5 『アズカバンの囚人』の忍びの地図
『ハリーポッターとアズカバンの囚人』は、子供向けの映画でもあるわけですが、エンディング後のクレジットには、子供にはやや不適切な要素が隠れています。
そのクレジット画面の背景として使われているのが、物語に登場するマジックアイテムの一つ、「忍びの地図」 。
このアイテムは、地図上に浮かび上がる「足跡」によって他の生徒たちの居場所が分かるのです。
そして、スタッフの名前が次々と表示されているとき、画面の左下隅に注目していると……。
こんな足跡が。
これは……。
この二人は一体何をやっているのか。
どこぞのチビッコ名探偵の推理を聞いてみたいところですが、観る側としては想像するしかありません。
厄介なことに、想像すればするほど、子供向けではない結論に至りそうになります。
ある意味、この足跡で何を想像するかで、その人の心の純真さが測れると言っていいかも知れません。