現実のスパイは、必ずしもジェームズ・ボンドのようにはいきません。
映画に登場するスパイは、任務を遂行するために犯罪組織に潜り込み、周りの信頼を得た上で、必要な情報をコッソリ入手します。
バレたら一巻の終わりという緊張感が漂う中で、敵を一網打尽にできる決定的証拠をつかむのは、高い身体能力に加え、優れた思考力・判断力も要求されるでしょう。
もちろん、実際のスパイの多くは、難しい仕事をこなせる優秀な人材だと思いますが、中には明らかにスパイに向いていない人もいます。
〈originally posted on July 5,2018〉
1 ピザに目が無いスパイ
レバノンには、ヒズボラと呼ばれるシーア派の政治組織があり、米国からはテロ組織と認定されています。
そして、かつてこの国には、アメリカのCIA(中央情報局)からのスパイが多数潜伏していた時期があります。
そのことはヒズボラも把握していたものの、誰がスパイなのかを判断する手立てが無く、悩みのタネとなっていました。
しかし、2011年、ヒズボラ側に好機が訪れます。
いくつかの情報筋から、スパイとCIA本部の人間とが落ち合っている場所についての手がかりを入手したのです。
その手がかりとは、問題の場所がスパイから「ピザ」という暗号で呼ばれていること。
そうなると、次はこの「ピザ」という言葉が具体的にどういった場所を指すのかを解明せねばなりません。
その暗号が、実はピザとは何の関係も無い特定の駅構内やランドマークを指している可能性もあることを考えると、この作業はある意味パスワード解析よりも厄介で、大きな困難を伴います。
ところが、ヒズボラにとって、そんな苦労は全く不要でした。
何故なら、この「ピザ」という言葉は、「ピザハット」を指していたからです
あるとき、レバノンの首都ベイルートにあるピザハットの近くでヒズボラのメンバーが見張っていると、それらしき男たち二人が入店し、密談を始めました。
男たちはすぐに身柄を拘束され、これをきっかけにしてレバノンにいる他のスパイも全て活動不能に。
歴史上最もバレバレな暗号を使った代償として、アメリカはヒズボラの活動状況を知る手段を失ったのです。
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2 金に目が無いスパイ
最もスパイらしからぬスパイとしては、アルドリッチ・エイムズを忘れてはなりません。
CIAで諜報員として活動していた彼は、仕事中によく居眠りをして上司から叱責されていました。
おまけに非常に酒癖が悪く、泥酔して警察官と殴り合いになったことも一再ならず。
それでもクビにならなかったのは、一応はその能力を信頼されていたからかも知れません。
しかし1985年、その信頼を裏切って彼は旧ソ連に機密情報を売ろうとします。
そのやり方も正にエイムズ流。
破天荒な彼には、ピザ屋で落ち合ってコソコソ取り引きするなど不要です。
ソ連大使館の前に車を乗り付けると、重要書類をしこたま詰め込んだ箱を抱えてエイムズは建物の中へ颯爽と歩いて行きました。
当時の彼の年収は約6万ドルでしたが、ソ連に情報を売り始めてから急激に羽振りがよくなります。
高級車などに散財するのはまだいいとして、54万ドルの新居を現金で購入するという恐るべき財力を手にしていました。
ここまで来ると、さすがにCIAも何かがおかしいということに気づきます。
1994年、エイムズは、またしても「秘密の取り引き」をするべくモスクワに向かおうとするのですが、その目的を果たす前に逮捕されました。
その後の裁判で、彼は終身刑を宣告されています。
3 学生気分が抜けていないスパイ
2007年2月20日、セルビアのコソボ州の州都であるプリスティナで、爆発テロが起きました。
これによる怪我人は出ませんでしたが、犯人には国際連合コソボ暫定行政ミッションに抗議する目的があったのではないかとされています。
これを受けて、ドイツの情報機関であるBNDが、被害の詳しい状況を調査するため、3人のエージェントを送り込むことに。
当時のドイツは、セルビアと政治的に対立していたわけではありませんが、他国で起きたテロ行為について露骨に調べるわけにもいかないので、隠密にそのミッションを遂行しようと考えたのです。
しかし、爆発のあった現場に向かったのは、「隠密」とは程遠い感じの雰囲気をまとった男たちで、彼らは怪しさ全開で調査活動に精を出していました。
誰が見ても目立ちまくりです。
そんなことを続けていると、やがて国連の職員がやってきて、事情聴取のために彼らの身柄を拘束。
この段階で既に相当情けない話ですが、彼らのポンコツぶりはまだ終わりません。
エージェントの中にアンドレアスという男がいたのですが、彼が持っていた1冊のノートには、今回の調査活動で得られたデータや、トップシークレットに当たる情報などが、特に暗号化されることもなくびっしり手書きされていました。
スパイが所有する情報は、仮に第三者の手に渡っても被害を最小限にとどめるために、情報自体が暗号化されていたり、少なくともその情報にアクセスするにはパスワードが必要だったりするものですが、アンドレアスは、まるで学生が授業を受けるように、全てノートに書き込んでいたのです。
4 パソコンが苦手なスパイ
2000年代前半、KGB(旧ソ連の国家保安委員会)の業務を受け継いだSVRという機関が、イギリスやアメリカにスパイ集団を送り込んでいました。
彼らは皆、イギリス人の名前を与えられた上で、ロンドンやニューヨークにある大学でコンピュータ関連の仕事に就いていたのです。
そんな彼らは、諜報活動を行うにはあまりにも間抜けでした。
セキュリティが脆弱な自前のノートパソコンを使い、無線でデータの送受信を行っていたため、彼らがどんなデータをやり取りしているのかは簡単に傍受できる状態だったのです。
しかも、そのパソコンが頻繁にフリーズしてしまうので、コンピュータのエキスパートであるはずの彼らは、修理のためにPC本体をよくモスクワに送っていました。
さらに、彼らのノートパソコンにログインするには、27個のランダムな文字列からなるパスワードが必要なのですが、パスワードが覚えられない彼らは、それを付箋に書いてパソコンのすぐそばに貼り付けていたのです。
実は、FBIはかなり早い段階でこのスパイ集団の存在に気づいていたのですが、彼らがあまりにもポンコツなので、あえて逮捕することなくしばらく泳がせていたのだとか。
言わば、哀れみによって逮捕を免れていたという、類を見ないスパイです。
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5 自国を破滅させかねないスパイ
モスクワのレーダー基地製造施設で働いていたアドルフ・トルカチェフという男は、旧ソ連政府に対して強い恨みを抱いていました。
その理由は、スターリンの時代に、彼の妻の両親が国から不当な扱いを受けていたことにあります。
その恨みを晴らすべく彼が思いついた計画は、下手をすれば国家の安全を脅かしかねないほど衝撃的かつ大胆でした。
仕事上、国の重要な情報に接しうる立場にいたトルカチェフは、自らスパイとして機密情報を入手し、それらをCIAに提供しようと考えたのです。
しかし、彼はただの一般市民であり、CIAに口利きしてくれるような知り合いなどいません。
そこでトルカチェフは、アメリカの外交官であることを示すナンバープレートが付いた車を見ると、全速力で走ってその車を追いかけたのです。
そして、目的の車が駐車場に停めてあるのを見つけると、スパイとしての自分を売り込むメッセージが書かれたメモを車に残していきました。
彼はこんなことを1年以上も続けていたのです。
その苦労の甲斐あってか、遂に彼はガソリンスタンドで、そのエリアを統括するCIAのチーフが乗っている車を発見。
すぐさまウィンドウをノックし、強引に話を切り出しました。
始めは思いっきり警戒されていましたが、最終的にトルカチェフはCIAからの信頼を勝ち取り、見事にスパイとしてデビューすることに。
それからの彼は、スパイとして非常に優秀な働きをしました。
あまりに優秀なので、ソ連にとって国防上致命的となるような情報をもCIAに伝え、アメリカに決定的なアドバンテージを与えたほどです。
個人的な恨みから自国を危険に晒したトルカチェフは、1985年に逮捕され、その翌年死刑が執行されました。