偉大な発明というのは、そう簡単に成し遂げられるものではありません。
それだけに、発明者にはそれ相応の名誉や財産が与えられて然るべき。
しかし、中には画期的な発明をしたにも関わらず、それが元で命を落とした人がいます。
発明には何らかの代償が必要な場合もあるでしょうが、その代償があまりに大きかったというケースをご紹介します。
〈originally posted on March 25,2015〉
1 マリ・キュリー
ポーランド出身の物理学者・化学者。
言わずと知れたキュリー婦人です。
ラジウムやポロニウムなどの発見、放射性同位体の分離など、化学の分野で多くの偉大な功績を残し、1903年には夫のピエールとともにノーベル賞も受賞しています。
そのノーベル賞受賞から約30年後の1934年7月4日に彼女は亡くなるのですが、その直接の死因が「再生不良性貧血」と呼ばれる病気。
しかし、これを引き起こしたそもそもの要因は「放射線被曝」だと言われています。
当時、放射線が人体に与える影響についてはまだ詳しく解明されておらず、彼女は放射線に関する実験を、何ら安全対策のなされていない部屋で行っていました。
おまけに、放射性同位体の入った試験管をポケットに入れて持ち歩くなどしていたそうなので、かなりの被曝量だったと考えられています。
2 オットー・リリエンタール
オットー・リリエンタールは、「グライダー・キング」と呼ばれ、人類で初めてハング・グライダーでの飛行を成功させた人物として知られています。
彼の成功により、世界中の新聞や雑誌が、人類が空へ飛び立つ日も近いという論調で記事を書いたそうです。
しかし、1896年8月9日、フライトの最中に落下し、およそ17メートル下の地面に激突。
背骨を強く損傷し、翌日に亡くなりました。
彼の最期の言葉は、「小さな犠牲は必要だ!」だったそうです。
3 アレクサンドル・ボグダーノフ
アレクサンドル・ボグダーノフは、ロシアの出身で、作家、内科医、哲学者、革命家など、実に多くの肩書きを持っています。
彼の実験で有名なのは、「輸血による若返り(回春)」です。
輸血によって若返りの効果があると信じていたボグダーノフは、数人に「輸血実験」を施した後、自らも実験台となって輸血をしたのですが、その際に使用した血液がマラリアと結核に感染しており、彼はその実験から程なくして亡くなりました。
4 フランツ・ライヒェルト
オーストリア出身の仕立屋である彼は、自らが発明したある特殊なオーバーコートによって世界にその名を知らしめました。
そのオーバーコートとは、パラシュートが組み込まれており、高所から飛び降りても無傷で着地できるというもの。
彼はその性能を実証するべく、エッフェル塔の頂上から飛び降りると宣言したのです。
周りの人たちから何度も止めるように説得されたのですが、彼の決意は変わらず、予告通り飛び降りました。
そして、TVカメラや多くの見物人が見守る中、彼は地面に直撃し、命を落としたのです。
5 トマス・ミジリー
トマス・ミジリーは、アメリカの化学者で、鉛を含んだガソリンや「フロン」を発明したことで知られています。
当時は賞賛された発明だったのですが、後にこの2つはどちらも環境破壊につながることが判明し、彼の発明は「人間と環境の双方にとって害悪」だと称されることもあります。
ミジリーは晩年、「ポリオ」と「鉛中毒」を患ってベッドで寝たきりの生活になるのですが、彼はそこで「最後の発明」をします。
ベッドで寝ている状態から、簡単に体を起こせるように、ロープと滑車を使った特殊なベッドを作ったのです。
しかし、皮肉なことに、彼は自らが発明したそのベッドで寝ている最中、ロープが絡まって窒息死してしまいました。