IQの数値を真面目に論ずることにどれほどの意味があるのを検証します。
「IQ(Intelligent Quotient)」は、人間の知能がどれくらい高いのか、という指標としてしばしば引き合いに出されます。
IQの最高記録保持者としてギネスブックにも載っているアメリカ人の作家、マリリン・ボス・サバント氏はIQが228もあるそうですが、それにしてもこの数値が表す真の意味とは何なのでしょうか。
今回は、その辺りの謎に迫ってみます。
〈originally posted on April 9,2015〉
1 もともとは子供向けだった
そもそもこの「IQテスト」なるものが開発された理由をご存知でしょうか。
アルフレッド・ビネーとセオドア・シモンによってIQテストの原型が作られたのですが、彼らの当初の目的は、知的発達に遅れが見られる子供を見つけるというものでした。
その後、1912年にウィリアム・スターンによって子供の精神年齢と実年齢とを比較するテストへと発展し、この時彼が「IQ」という言葉を作ったのです。
具体的な数値の出し方ですが、IQテストの結果得られた精神年齢を実年齢で割って100を乗算した数値がその人のIQとなります。
例えば、実年齢と精神年齢が一致していればIQは100、実年齢が10歳で精神年齢が5歳なら、IQは50ということです。
上記のような目的で作られたテストですから、ある程度精神的に成熟した年齢(およそ15歳)に達すると、IQテストを施す意味はほとんど無くなってしまいます。
また、あまりに高いIQのスコアは、そもそもこのテストが予定しているものではないので、その数値自体の信頼性が低くなるのです。
例えば、アルバート・アインシュタインはIQが160(一説には180)もあったとされていますが、IQが「150」の人とアインシュタインを比較して、どちらが知能的に優れているかを論じても意義のある結論は出せないのです。
一方で、子供に行ったテストの結果、IQ80の子供とIQ90の子供がいれば、二人の間の差はハッキリと確認出来るほど顕著なのです。
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2 一般常識
多くのIQテストでは、「一般常識」を問う設問が用意されていますが、これがいかにして知能指数に影響するのかに疑問が生じます。
例えば、子供に対してIQテストを行う場合を想定してみましょう。
「リンゴの色は何色か」という問題が実際に出題されたことがあるのですが、大人にとってはどうということはないこの問題も、5歳の子供にとっては事情が異なります。
仮にその子がそれまでに緑色のリンゴしか見たことが無ければ、おそらく「緑色」と答えるはずです。
子供の持つ短い人生経験では、育った環境により「一般常識」は異なりうるのです。
また、他の出題例として、
「2次元における『メビウスの帯』は3次元においては『 』に該当する」
というものがありました。
リンゴと違ってこちらは大人でも難しいですが、それにしても、この答えを「知っている」人と「知らない」人とで知能指数が異なるというのはいかにも奇妙です。
ちなみに今の設問の答えは「クラインの壷」なのですが、この答えをご存知なかった方は、今この瞬間にIQが上がったと言っていいのでしょうか?
3 創造性の評価
ネットで調べると、かのレオナルド・ダ・ヴィンチのIQは220もあったとされていますが、これはどう考えても嘘っぱちです。
理由は明白。
彼の生きていた時代にIQテストは存在しなかったから。
ところで、仮にレオナルド・ダ・ヴィンチのIQが本当に220だったとすると、IQ160のアインシュタインは彼よりも知能が劣っているのでしょうか。
専門としていた分野が違うので比較しづらいですが、では創造性の高さという観点から見るとどうでしょう。
両者とも、歴史に名を残すほどの偉大な発見を成し遂げましたが、その点において二人の間に60の差を感じさせる顕著な違いがあるのでしょうか。
ここで、さらに比較しやすいように、共通の分野で才覚を発揮していたシェークスピアとヘミングウェイとで考えてみます。
二人とも、数々の名作を残した天才なのは疑いないですが、IQの数値以外で知能の高さを比較する手段があるでしょうか。
分かりやすい表現を好んで使ったヘミングウェイより、難解な表現を多用していたシェークスピアの方が知能が高いと判断するのは不自然といわざるをえません。
このように、創造性という視点でIQを捉え始めると、IQの数値はほとんど意味をなさなくなってくるのです。
4 スピード重視
多くのIQテストでは制限時間が設けられています。
ということは、たとえ全問正解しても、テストの作成者側が予定するタイムリミットを超えてしまうと確実にマイナスの評価を受けるということです。
入学試験などは、ある意味、志願者を「落とす」ためにあるわけですから、制限時間を設けるのにも理由がありますが、純粋に知能のレベルを図るためのIQテストで解答速度を重視するのは果たして適切なのでしょうか。
アインシュタインは高校時代、教師からの質問に答えるのがあまりにも遅いので、教員たちから知的発達が遅れていると思われていたそうです。
しかし、その後の彼の偉業を考えれば、解答速度が知能レベルを決める重要な要素とは言いにくいでしょう。
実社会においても、同じような画期的アイデアを30分で思いつく人と、45分で思いつく人との間に実質的な違いはあるでしょうか。
5 理数系偏重
「天才」の代名詞ともいえるアインシュタインの高校時代の成績は、IQの意義を考える上で非常に興味深いものとなっています。
6段階評価で、代数、幾何、物理、歴史が「6」、化学、イタリア語、ドイツ語が「5」、地理、美術が「4」、フランス語が「3」となっています。
理数系科目が得意分野なのは明らかです。
そして、IQテストもまた、科学や数学の分野での能力を重視したテストとなっているのです。
そうであれば、アインシュタインがIQテストで高得点をたたき出したのもごく自然なことでしょう。
逆に、理数系科目以外、例えば語学の分野が苦手であってもIQテストにはあまり影響しません。
その証拠に、アインシュタインは、現チューリッヒ工科大学の入学試験に一度失敗していますが、そのときに落とした科目が、フランス語、イタリア語、歴史、地理なのです。
IQ160の「天才」が一浪して大学に入るというのはどうなのでしょう。
結論 IQだけを重視しすぎるのは考え物
現代では、「IQ」という言葉だけが、本来の目的から離れて一人歩きしています。
IQの数値が高いか低いかで、その人が知的分野で将来どれだけの功績を残すか、という所まで決めかねない風潮があります。
しかし、上記のようなIQテストの抱える問題点を考慮すれば、少なくともIQの数値一つだけで「知能指数」などといった大げさな尺度を論じることにあまり意味は無いように思えます。
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