コーラと言えば?
コカ・コーラでしょうか、それともペプシ・コーラ?
日本では、コカ・コーラの方が優勢のように思います。
しかし、筆者の好みを言わせてもらえば、ペプシ・コーラの方が好きです。
よって、個人的にはペプシを応援したい。
というわけで今回は、コカコーラの永遠のライバル、ペプシコーラの知られざる真実をご紹介します。
〈originally posted on May 13,2015〉
1 最初の名前は「ブラッヅ・ドリンク」
ペプシコーラは、ノースカロライナ州ニューバーンで、薬剤師であったカレブ・ブラダムによって1893年に開発されました。
しかし、当時の商品名は「ペプシ」ではなく、彼の名字を取り入れた、
「ブラッヅ・ドリンク(Brad’s Drink)」
というものでした。
この名前は5年間使用され、1898年に「ペプシ」という名前に変わるのですが、では何故「ペプシ」という名前に決まったのか。
実は、この飲み物はもともと、消化不良を解消するための「胃薬」としての効能を謳っていたのです。
そこで、原材料に使われている消化酵素である「ペプシン」から名前を取ったというわけです。
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2 ソ連にもぐりこんだ最初のアメリカ商品
米ソの冷戦時代、ソ連では一般消費者のもとにアメリカ製の商品が届くことは無かったのですが、その唯一の例外が「ペプシコーラ」なのです。
1972年、ペプシコ社とソ連政府は、ペプシコ社がソ連でペプシの販売をする代わりに、モスクワで醸造されたウォッカをアメリカで普及させるという合意に達しました。
その結果、ペプシは1990年代にソ連が崩壊するまで、ソ連で一般人が入手できるただ一つのアメリカ商品となったのです。
3 コカコーラへの対抗意識
1970年代から1980年代にかけて、ペプシの広告戦略のメインとなっていたのは、
「比較調査」
です。
比較対象はもちろん、赤いライバル「コカコーラ」。
1975年に、
「テイク・ザ・ペプシ・チャレンジ」
という名前で始まったこの調査は、一般の人にペプシコーラとコカコーラをそれぞれ飲んでもらい、どちらが好みかを聞くというもの。
その結果、ペプシの方が好みだと答えた人の方が多かったという事実を、何と25年にもわたって宣伝に盛り込んでいたのです。
ライバル心むき出しのこの広告戦略は、
「コーラ・ウォーズ」
と称されることもあります。
4 買収の提案を蹴ったコカコーラ
1922年から1933年の間に、コカコーラ社はペプシコ社の買収を提案されました。
それも3回も。
しかし、コカコーラ社は3回ともそのオファーを蹴っているのです。
実現すれば、炭酸飲料の業界で莫大なシェアを獲得することになったはずですが、買収案を断った理由については明らかにされていません。
5 業界初の2Lボトル
アメリカで、日本の「ファミリーサイズ」にあたる2Lボトルは、1970年までは存在しませんでした。
このサイズのボトルを初めて商品化したのは、他でもないペプシコ社です。
そして、そのボトルを発明したのが、化学会社として有名な「デュポン社」に勤めていたナサニエル・ワイエス氏。
彼は、3年後に、このボトルについての特許も取得しています。
6 ペクシ?
南アメリカ南部に位置する国、アルゼンチンでは、「Pepsi」が「ペクシ」と発音されることが多かったので、ペプシコ社は2009年に商品名を、
「Pecsi」
に変えてしまいました。
世界的に有名なブランドが、特定の国においてだけ違う名前になるというのはかなり珍しいことなのですが、その効果は抜群で、名前を変更してからアルゼンチンにおけるペプシ……ではなくてペクシの売り上げが上がったそうです。
それを受けて、2011年には、メキシコでもペプシの名前を変更しました。
7 架空のペプシ
映画やドラマの中で、架空のペプシが存在していたのをご存知でしょうか。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part II』では、2015年の飲食店で、
「Pepsi Perfect」
という架空のペプシが登場します。
他にも、『サブリナ』というドラマでは「Popsi」というコーラが、『アイ・カーリー』では「Peppy Cola」が出てきます。
ちなみに、これらのドラマは日本でもNHKのEテレにて放送されていました。
こういった「なんちゃってペプシ」は、結局商品化などはされなかったのですが、実は1つだけ、架空のペプシから実際に商品化されたものがあるのです。
それが、
「Pepsi Nex」
2011年に日本サンライズが製作した「Tiger & Bunny」というアニメシリーズの中に出てくるペプシなのですが、翌年に商品化され、「Pepsi Nex Zero」として販売されました。
8 悲惨なキャンペーン
ペプシはこれまでに様々なキャンペーンを行ってきましたが、2002年にロシアで行われたものほどヒドイものは無いでしょう。
ノヴォシビルスクという街で実施されたキャンペーンなのですが、ペプシコーラを買った客が、キャンペーン会場に用意された大量の車のキーから一つ選び、賞品である車のドアを開けられれば車をゲットできるというものでした。
そして、ある男性がペプシコーラを買い、キーを選んで見事に車のドアを開けたのですが……。
その後、誰も予想しなかった展開が待っていました。
その男性は、車がもらえるどころか、何とペプシコ社から訴訟を起こされたのです。
驚くべきその理由とは、実際には会場に「当たり」のキーは一つも用意していなかったので、誰もその車を開けられるはずが無い、というもの。
・・・・・・
・・・
・
え?
というか、その男性を訴えた時点で、自分達が「イカサマ」をやっていたと暴露してしまっているのですが……。
9 悲惨なキャッチコピー
1960年代にペプシコ社は、
ペプシ世代(Pepsi Generation)
という言葉を作りました。
これは、当時ノスタルジックな雰囲気のCMを展開していたコカコーラに対抗して、ペプシを飲んでいる世代の若々しさをアピールしようとしたもの。
そして、
Come alive!
You’re in the Pepsi generation!
という有名なキャッチコピーも生み出しました。
ここまでは何の問題も無かったのですが、このキャッチコピーを中国で使用する際に翻訳された結果、
という意味のトンデモナイ中国語に変えられてしまったので、大問題となったのです。
「come alive」には、「活気付く、生き生きとする」などといった意味があるのですが、この部分を「生き返らせる」と誤訳してしまったのだと思われます。
ただでさえ人口の多い中国で恐ろしい誤訳をやらかしたものですね。
10 KKKから脅迫を受けた
は、アフリカ系アメリカ人の間ではまだそれほど炭酸飲料は普及していませんでした。
そこで、当時の社長であったウォルター・マックは黒人だけを起用したCMを展開。
その黒人の中には、幼少期のロン・ブラウン(元アメリカ合衆国商務長官)も含まれていました。
しかし、黒人に対する差別意識の強かったアメリカ南部では反発もあり、ペプシコ社の幹部がKKK(クー・クルックス・クラン:白人至上主義団体)から脅迫を受けることもあったそうです。
この広告キャンペーン自体は成功を収めたものの、白人の消費者が離れていくのを恐れて、アフリカ系アメリカ人に向けた宣伝は無くなってしまったようです。
11 ペプシマン
ペプシの歴史を語る上で避けては通れないのが、
ペプシマン
です。
カナダ人のイラストレーター、トラビス・チャレストによってデザインされたこのヒーローは、ペプシ公認のイメージキャラクターなのですが、もともとは日本でのCM用に作られたもの。
喉が渇いている人がいると、どこからともなくすっ飛んで来てペプシコーラを飲ませるという、某アンパンのヒーローと似たような感じですが、12種類ものテレビCMが製作され、1999年にはプレイステーション用のゲームもリリースされているのです。
また、全くの「誰得」情報として、「ペプシウーマン」も存在します。
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