命がいくつあっても足りない。
生存していること自体が自慢できる。
そんな超危険エリアをご紹介します。
日本でも比較的治安の悪い地域というのはありますが、それでも、普通に生活しているだけで生命の危険を感じるような場所はまず無いでしょう。
しかし海外に目を向ければ、いつ殺人事件に巻き込まれてもおかしくないような地域もあるのです。
中には、危険な場所であるにも関わらず、観光客が訪れるような場所も……。
〈originally posted on May 28,2016〉
1 フアレス・バレー(メキシコ)
フアレス・バレーはメキシコ湾へ注ぐリオ・グランデ川沿いの地域で、アメリカとの国境からほど近いところにあります。
元々は約60kmほど続く広大な綿畑があり、6万人の人口を有していましたが、現在はほぼゴーストタウンと化し、住人の数は5000人ほど。
この地域は薬物取引が絡んだ勢力争いが原因で、殺人事件の発生率が恐ろしく高くなっています。
町の中には商店もありますが、それらのほとんどは営業していません。
道路には間に合わせで作られた墓が点在し、建物の壁にはその付近で死んだ人の数が落書きされており、そこを訪れる人への警告の役割を果たしています。
2009年に治安を回復すべく機動隊が送り込まれたものの、逆に「処刑」される結果に終わりました。
2 ユンガスの道(ボリビア)
通称「死の道路」。
1930年代にパラグアイ人の捕虜たちによって作られ、断崖絶壁の途中にあるわずかな出っ張りを強引に道路にしたような形になっています。
道幅が極端に狭く、わずかなハンドルミスで奈落の底へと落下する運命が待っている恐ろしい道路。
かつては年間に200~300人がここで命を落としたと言われています。
あまりに危険な道路なので2006年に別ルートの新道が完成しましたが、スリルと絶景を求めてこの道路を利用する観光客は後を絶たず、ボリビアでも有数の観光スポットとなっています。
3 キヴ湖(アフリカ大陸)
コンゴ民主共和国とルワンダの国境をまたいで位置するアフリカ大湖沼の一つ、キヴ湖は面積が約2700平方キロメートルで、外観には特に危険な要素はありません。
この湖が危険なのは、その「内部」なのです。
湖面から300mほどの水中に二酸化炭素ガスと莫大な量のメタンガスがあり、ちょうど湖水と湖底との間に封じ込められた状態になっています。
火山活動によって生み出されたこれらのガスが、地震などのきっかけで空気中に漏れ出てしまうと、致死性のある有毒ガスが近隣に住む200万人の生命を脅かすと見られています。
実例として、1980年代にアフリカで、キヴ湖と同様の問題を抱えた湖から有毒ガスが発生し、数千人の命を奪いました。
学者たちは、将来的にキヴ湖にも同じ災害が発生する可能性があると予測しています。
4 サン・ペドロ・スーラ(ホンジュラス)
中央アメリカ中部の国、ホンジュラス共和国で2番目に大きい都市であるサン・ペドロ・スーラは、殺人事件の発生率が世界で最も高いとされています。
酷いときには、年間で人口10万人あたり180人以上が殺害されるという年もありましたが、平均すると10万人あたり約90人が殺害される割合です。
つまり、ほぼ1000人に1人が殺されるということになります。
治安がここまで悪い理由は、この地でドラッグや武器の取引が頻繁に行われるため、それに伴う抗争に市民が巻き込まれるから。
時には観光客が犯罪のターゲットにされることもあります。
5 ポイズン・ガーデン(イギリス)
先程のユンガスの道と同様、世界で最も危険な観光スポットの一つ。
イングランドのノーサンバーランド州にあるアニック・カースルという城の敷地には、「アニック・ガーデン」という複数の庭園からなるエリアがあります。
2005年、その庭園の一つとして「ポイズン・ガーデン」なるものがオープンしました。
入口の門にはドクロのマークと「命の危険性アリ」という警告文が書かれています。
その名が示す通り、ここにある植物は毒性を持ったものばかり。
安全のため、観光客は実際に植物に触れて匂いを嗅いだりは出来ないのですが、それでも空気中を漂う匂いを嗅いでいたために気を失ったという例もあるようです。
6 マヤーク核技術施設(ロシア)
マヤーク核技術施設はロシアのチェリャビンスク州にあり、旧ソ連時代は核兵器の工場として機能し、現在では主に核燃料の再処理に利用されています。
かつてこの施設の地下実験場で作業に当っていた者のほとんどは囚人でした。
彼らは、旧ソ連トップの核科学者が主導する種々の危険なプロジェクトに参加する見返りとして刑を軽くしてもらっていたのです。
しかし、5年以上も放射能に曝される業務が続いた結果、囚人たちの誰一人として、短くなった刑期の恩恵を受けることはなく、被曝が原因で全員亡くなっています。
放射能廃棄物は施設の近くを流れる川にそのまま投棄されていたため、川沿いにある24の村の住民に深刻な健康被害をもたらしました。
信じ難い話ですが、この汚染された川の水は6年もの間、住民の飲料水として使用されていたのです。
1957年9月29日、放射能廃棄物を格納するタンクの一部が爆発を起こし、47万人が被曝、約50人が死亡するという大惨事が発生。
この「キシュテム事故」は歴史上最悪の核災害の一つになっています。
1959年に行われた調査によれば、半径20km以内の木々が全て枯れていたそうです。
この爆発事故の事実は、1976年にソ連から亡命した科学者によって暴露されるまでは、政府によって国外に情報が漏れないようにされていました。
この災害があってからも幾度と無く事故が発生しており、現在も稼働中のマヤークが周辺の環境に与える影響が懸念されています。