今回の記事は、子供時代の思い出をぶち壊しても構わないという方だけお読みください。
子供の頃に親しんだ絵本や小説、映画などは、大人になってからも特別な存在であり続けるでしょう。
しかし、その作品自体には何の問題も無くても、それを生み出した原作者やその関係者に問題があったらどうか。
作品と作者はあくまで別であると割り切れたらいいですが、必ずしもそれが出来るとは限りません。
〈originally posted on April 6,2018〉
1 『メリー・ポピンズ』
日本映画史上、最も型破りな登場をする家庭教師と言えば、やはり松田優作が演じた吉本勝でしょう。
映画『家族ゲーム』の冒頭で、大学7年生の吉本は、教え子の家へ向かうために漁船に乗って現れます。
一方、洋画において最も幻想的な登場をする家庭教師と言えば、メリー・ポピンズ(メアリー・ポピンズ)で決まりです。
傘を差したポピンズが、風に乗って飛行し、ふわりと地面に降り立つシーンは一度見たら忘れられません。
ちなみにこの作品は、2018年に『メリー・ポピンズ・リターンズ』としてリメイクされました。
〈オフィシャルトレーラー〉
この不思議な力を持った家庭教師の物語を書いたのが、イギリスの児童文学作家であり、女優の経験もあるパメラ・トラバース。
そして、彼女の原作を最初に映画化したのが、ウォルト・ディズニーです。
映画はアカデミー賞5部門を受賞し、いまでも不朽の名作として位置づけられています。
原作者にとって、自分の作品が映画化され、しかもそれが高い評価を受けることは、非常に喜ばしいことであるはず。
しかし、トラバースの場合は違いました。
実は彼女は、ウォルト・ディズニー版の『メリー・ポピンズ』に様々な不満を抱いていたのです。
まず、映画で使用された楽曲が彼女の好みに全く合わず、また、メインキャラクターの描き方に深みが無いことにも疑問を感じていました。
さらに、実写映画であるにも関わらず一部のシーンでアニメーションを合成している点に至っては、意味が分からないとも語っています。
トラバースはこういった不満点をはっきり周りに表明していましたが、映画関係者の耳には届きませんでした。
そして、トラバースとウォルト・ディズニーの不仲を決定づけたのが、この映画のプレミア試写会です。
トラバースはこの試写会に招待すらされていなかったので、彼女は自ら映画館に赴いて交渉し、その結果ようやく観客席に。
試写会が終わった直後、彼女はウォルト・ディズニーに一言感想を述べようとしますが、彼はそれを完全に無視して立ち去ったそうです。
それ以来、トラバースは、自分の他の作品をディズニーが映画化することに一切許可を与えませんでした。
2 『クリスマス・キャロル』
年に一度のクリスマスの日でさえ、金が無くて困窮している人々を尻目に、金を貯め込むことに血道を上げる無慈悲で冷酷な守銭奴が、過去・現在・未来の幽霊と出会うことで改心していくという心暖まる物語『クリスマス・キャロル』。
こんな美しい物語を書いたチャールズ・ディケンズは、さぞかし性格の優しい人なのだろうと思いたくなりますが、現実はそんなに甘くはないのです。
ディケンズはおそらく、歴史に名を残す作家の中では「最悪の夫」と言えます。
彼は、妻のキャサリンとの間に10人の子供がいましたが、子育てには非協力的で、そもそも子供自体に興味が無かったとか。
その結果、10人の子育ての負担がキャサリン一人の身にのしかかり、その疲労とストレスから、彼女の体重は増える一方。
そんな妻に嫌気が差した45歳のディケンズは、自分の娘と同年齢の女優であるエレン・ターナン(18)と不倫。
ターナンとの間には息子も生まれましたが、生後間もなく亡くなっています。
やがて彼は妻との離婚を決意。
ただし、普通の離婚の仕方ではありません。
彼は新聞紙上で離婚を発表し、なおかつ、原因が全て妻にあることを強調するため、子供に対するキャサリンの愛情の無さや、母親としての彼女の無能ぶりを非難。
もちろん、彼のこういった主張は全て事実無根であって、真実は真逆です。
さらに、この当時(ビクトリア朝時代)は、離婚時には父親が子の親権を得るのが通常で、それをいいことにディケンズは、子供たちとキャサリンを滅多に会わせなかったとされています。
この恐るべき鬼畜男が、『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージのように改心したという記録は残っていません。
ディケンズは、58歳のときに過労により亡くなりました。
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3 アンデルセン童話
日本でも大ヒットを記録した『アナと雪の女王』のベースになった作品が、言わずと知れたハンス・クリスチャン・アンデルセン原作の『雪の女王』。
デンマークが生んだこの偉大な童話作家は、他にも『裸の王様』『みにくいアヒルの子』『マッチ売りの少女』などの作品が有名です。
彼は人並み以上に強い恋愛願望を抱いていましたが、実際に女性と付き合うには余りにもシャイでした。
アンデルセンが熱烈に惚れ込んだ女性も何人かいたものの、自分の方からは決して告白できず、生涯独身を貫いています。
多くの子供に愛される物語を書き続ける一方で、彼のプライベートは孤独そのものでした。
しかし、女性のことが好きである以上、欲求が溜まってくることは避けられず、彼は心身ともに満たされない日々を送っていたのです。
パリに滞在中、アンデルセンは、長年の夢を実現すべく61歳にして初めて娼館を訪れます。
そこで彼は18歳の女性を指名し、5フランを手渡したのですが、結局何もしませんでした。
ただ目の前の女性を見つめていただけ。
その時の様子はちゃんと日記に書かれており、「簡素なドレスを着たその女の子は、酷くきまりが悪そうで、私がただ見ているだけということに驚いていた」そうです。
その後も、彼は娼館に通い続けますが、目的はあくまで女性と短時間の会話を楽しむため。
それが済んだら家に帰り、感想を日記に書くことの繰り返し。
異性の性的魅力に接すると、全身が震えるほどの興奮を覚えていたアンデルセンですが、彼が女性と体を重ねることは、遂に一度もありませんでした。