人々の暮らしに欠かせない医療や科学の発展に欠かせないのが、数々の実験です。
実験無くしては、新たな物質の発見や、画期的な理論の構築などはありえないでしょう。
そして多くの実験を支えているのは、被験者の存在です。
現在ではほとんど考えられませんが、かつて、被験者の置かれた立場は、実験によってはかなり過酷なものでした。
時には、実験内容それ自体にも大きな問題があったのです。
今回はそんな、科学の闇の側面をご紹介します。
〈originally posted on April 6,2024〉
1 産まれた瞬間から実験に強制参加
産まれたばかりの子どもが、やむにやまれぬ理由で別々の家庭で育てられる。
昔はこういうケースは珍しくなかったことでしょう。
ロバート・シャフランという男性もそんな境遇で育った一人。
彼が大学に入学したとき、自分とそっくりの学生と出くわします。
エドワード・ガランというその学生は、ロバートと顔がそっくりという次元を通り越して、もはや双子……。
これが単なる偶然だとすれば奇跡的な確率といえます。
その後、彼らのことが新聞で報じられたとき、二人が写った写真を見たデイヴィッド・ケルマンという男性が腰を抜かしました。
「この二人、俺とそっくりじゃないか……」
もうお気づきでしょうが、ロバート、エドワード、デイヴィッドの3人は正真正銘の三つ子。
そして3人は、感動の再会という喜びに浸りました。
しかし、その「感動」から数十年後、彼らは吐き気のするような真実を知ることとなります。
彼らが育てられた家庭は、それぞれ裕福な家庭、中流家庭、低所得者層といった具合に、収入面で見事に三段階に分かれていました。
これが偶然ではないとすると、怪しい「実験」の匂いがしてきますが、実はこれ、ピーター・ヌーバーという心理学者が仕掛けた実験でした。
彼は、人が育てられた環境が遺伝的要因にどのように影響するのかを確かめたかったのです。
そこで、産まれたばかりの三つ子を、収入の異なる3つの家庭に引き取らせたというわけ。
ヌーバーはこの目的のために他の子どもにも同様のことを行っていたようですが、その正確な人数は判明していません。
研究のために無関係な人たちの人生を翻弄するという極めて悪質な実験ですが、さらに最悪なことに、この実験から得られたものはゼロ。
彼はこの実験の結果をほとんど公表しておらず、それ故に、誰も何も結論付けることができないためです。
何らかの研究成果に貢献できたのであれば、その三つ子もまだ救われたかもしれませんが、全くの無駄な実験に終わっています。
彼らが強い憤りを覚えたことは、無理もない話です。
2 魂の重さを量る男
科学者の頭脳には、時に奇抜な発想が生まれます。
そして生まれたが最後、その発想に基づいて行動せずにはいられなくなるのです。
例えばその発想とは、「人の魂の重さはどれくらいか」というようなもの。
これを突き止めようとしたのが、ダンカン・マクドゥガルという科学者。
19世紀初頭、彼は「生物の魂には重さがある」という仮説を打ち立てました。
それを確かめる方法は、ある意味とても直球なやり方。
今まさにあちらの世界に旅立とうとしている人の体重を量ったのです。
このとき、体重に変化があれば、それは魂が抜け出たということであり、減った重さがまさに「魂の重さ」だというわけ。
しかしながら、人間の最期の瞬間を実験に利用するというのは、色々と問題があります。
そもそも、そんな実験をどうやって実現させたのか。
被験者はどういう人たちで、どこで探してきたのか。
本人の了解などはちゃんと得られていたのか。
考えれば考えるほどダークな部分が見えてきます。
さらに、彼はこの手の実験を複数の犬にも行っていました。
相手が犬の場合、人間よりも「強引な手段」が使われていたであろうことは想像に難くないでしょう。
これらの実験の結果、マクドゥガルは一つの結論に辿り着きました。
まず、人間の場合、わずかに体重が変化することもあれば、全く変化しない場合もあるということ。
そして、犬の場合は常に全く変化しないということ。
つまり、人には魂が存在する可能性が認められるが、犬にはそれが無い。
愛犬家からは猛烈な反論が予想される結論ですが、それにしてもこの結論、一体なんの意味があるのでしょうか。
3 空腹とバストサイズの関係
昔から「腹が減っては戦ができぬ」と言いますが、ハラペコ状態が良い結果を生まないことは、経験的に誰もが知っています。
その意味で、これは当然のことを表現したに過ぎません。
しかし、研究者という人たちは、ときにその当たり前の理解では満足できないことがあるのです。
ロンドンにあるウェストミンスター大学の研究者も、腹ペコがもたらす影響について、よりディープな理解を欲していました。
そして思いついたのが、「男性が女性を見て魅力的だと感じるとき、女性の胸の大きさと、男性の空腹度合いとの間には関連性があるのか」という疑問。
彼らはこの疑問について調べるために、大学の学生食堂の入口で、これから昼食をとる男子学生たちと、食べ終わったばかりの男子学生たちに、それぞれ実験内容を説明した上で協力してもらったのです。
実験では、これから食べる空腹のグループと、食べ終わって満腹のグループとに、それぞれ全く同じ写真を見せました。
その写真には、CGで作成された水着女性が5パターン並べられており、胸の大きさだけ順に大きくなっています。
それを見た被験者には、どの女性が最も魅力的に感じるかを答えてもらいました。
ここまでで何となく結果が見えた人もいるかもしれませんが、空腹の学生ほど、大きな胸の女性が魅力的だと答えたのです。
つまり、腹ペコで死にそうな状態にある男ほど、大きいほうが良いと感じるということ。
その理由は、研究者によれば、男性は豊満な胸を見ると、本能的に栄養状態の良さを連想するからではないかとのこと。
この結論に自信を得た研究者らは、今度は公費でボルネオ島を訪れ、現地の人を対象に全く同じ実験を繰り返したとされています。
それにしても、この研究結果が一体何の役に立つのかはサッパリ分かりません。
さらに言えば、女性の魅力をこういう形で判断させる実験を行うこと自体、かなり問題がありそうですが……。
4 道化師を襲う子供たち
保育士を目指す人の大半は、子供が大好きなはず。
確かに子供は無邪気で可愛い。
しかし、保育士が青ざめるほど手に負えない子供ばかりが集まったら……。
それはそれで、なんか面白そう。
そう思っていたかどうかは知りませんが、アルバート・バンデュラという心理学者は、1960年代にある奇妙な実験を行いました。
まず、被験者である子供たちに、あるビデオを見せます。
ビデオの中では、数人の大人が道化師の人形をあの手この手で攻撃します。
それを見終えた子供たちは、同じ道化師の人形が置かれた部屋に入れられます。
部屋にはハンマーや銃などの武器(もちろん全て玩具)がたんまり……。
お察しの通り、子供たちはビデオの映像をそっくり真似しました。
道化師人形はボロボロ。
これは、言うなればビデオの内容が子供の行動にコピーされたようなもの。
バンデュラはこの結果に満足気でしたが、しかしこの実験は痛烈な批判にさらされることとなります。
実験が非倫理的だからではなく、子供の「相手」が人形だったからです。
目の前に大きな人形があれば、それに飛びかかったり、腕や足を引っ張ったりするのは子供にとってはごく自然なこと。
そこから何かを結論付けるには少々無理がある。
つまり、この実験はその設定自体に問題があるというわけなのです。
そこでバンデュラは考えました。
人形を使うのがマズイのであれば、本物の人間を使えばいいではないか、と。
彼は、ビデオに登場する道化師を人間と入れ替え、さらに、ビデオ視聴後に子供たちが入る部屋で待つ道化師も人間に。
これで文句はあるまい、として臨んだ実験の結果は……。
子供たちは、人形のときと全く同様に、道化師(の格好をした人間)に襲いかかりました。
相手が人形だろうと人間だろうと、子供たちの猛攻ぶりは何も変わらなかったのです。
そしてこのよく分からない実験において一つだけ確かなのは、最も悲惨な目に遭ったのが道化師役の人間だったということでしょう。
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5 恐怖を感じない人々
人間にとって恐怖を感じる能力は欠かせないものです。
恐怖心を抱くからこそ、迫りくる危険から逃れることができるわけですから。
しかし世の中には、先天的に恐怖を感じない人々が存在します。
真夜中の廃校に一人で残されても、大型トラックが猛スピードで接近してきても、強面のおじさん達に囲まれても、何の恐怖も感じないのです。
こういう人の存在は、科学者の探究心を刺激します。
米国アイオワ大学にいたジャスティン・ファインスタインも、刺激されまくった一人。
彼は、生まれつき恐怖を感じない被験者として3人を探し出し、彼らに恐怖を感じさせる方法を模索しました。
そうして発見した方法が、「高濃度の二酸化炭素を吸わせる」というもの。
そうすることで、「酸欠状態にある」と脳に判断させるのです。
酸欠は生命の危機に直結しますから、これならさすがに怖くなるはず、と考えたのでしょう。
ファインスタインの目論見は上手くいきました。
上手く行き過ぎたというべきかもしれません。
被験者たちは、生まれて初めて「恐怖」という感情を味わうこととなり、パニック状態に陥ったのです。
この実験に参加する以前、彼らは何かを怖いと思ったことは一度も無く、他人がそういう感情を抱いていても理解は出来ませんでした。
そんな状態から、「恐怖」という未知の感情がいきなり流れ込んでくるのですから、パニックになるのも当然でしょう。
全くもって酷い実験だと言わざるを得ません。