歴史に残るような発明
をしたにも関わらず、その発明者自身にはほとんどお金が入って来なかったという珍しい事例をご紹介します。
我々の生活を一変させてしまうほどの偉大な発明というのは、その発明者に一生遊んで暮らせるほどの利益をもたらすのが普通です。
そして、それを可能にするのが特許。
いかに優れた発明といえど、特許を取得しておかなければ利益を独占できません。
2014年における全世界の特許申請件数は約270万件もあり、国別で見ると一位が中国、次いでアメリカ、日本となっています。
しかし、全ての発明者が特許を持っているとは限りません。
中には、世紀の発明をしながら特許を申請しなかった人もいるのです。
〈originally posted on August 8,2016〉
1 ワールド・ワイド・ウェブ(WorldWideWeb)
インターネットをインターネットたらしめている要素といえば、やはりクリック一つでリンクを次々と辿っていけるところでしょう。
この便利な機能が無ければ、グーグルのような検索エンジンも成立しません。
ネットワーク上に存在する無数の情報を相互に結びつけるワールド・ワイド・ウェブのシステムを考案したのは、イギリス出身の科学者であるティム・バーナーズ=リーです。
この技術を使った世界で最初のウェブサイトは、1991年に欧州原子核研究機構(CERN)において作られ、そこから今のようなインターネットへと発展していきました。
しかし、これだけ凄い発明でありながら、彼はワールド・ワイド・ウェブに関する特許を取得しなかったのです。
その理由は、この技術は誰もが自由に使えるようにするべきだと考えたからだそうです。
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2 ポテトチップス
1853年、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスのレストランでシェフをしていたジョージ・クラムは、ある客にフライドポテトを出したところ、「ポテトが厚くて柔らかすぎる」という苦情を受けました。
これに対し、イラッときたクラムはポテトを馬鹿みたいに薄く切り、カリッカリに揚げて反撃したのです。
ところが、怒りに任せて作ったこの薄切りポテトは意外な反響を呼び、「サラトガ・チップス」という名で新メニューにしたところ大ヒット商品となりました。
そしてこれが、今のポテトチップスの原型とされています。
後にクラムは自分のレストランをオープンし、店内の各テーブルにはボウルに盛られたサラトガ・チップスを置いていたそうです。
このメニューはやがて他の地域にも広まるほどの人気を得ましたが、クラムはそのレシピや調理法について何も特許を取りませんでした。
3 マッチ
現在使われているような擦って火をつけるマッチは、1827年にイギリス人の化学者であるジョン・ウォーカーが発明しました。
彼はそれを「フリクション・ライツ」と名付け、まずは地元で販売を開始。
しかし、自分の発明に満足できなかったウォーカーは、特許を申請しませんでした。
そのことに加えて、アイザック・ホールデンという発明家がこのマッチと似た商品を世界中でヒットさせたことから、長きにわたりマッチの発明者はホールデンであると誤解されていたのです。
マッチの真の発明者がウォーカーであるという認識が広まったのは、彼が亡くなってからのことでした。
4 スマイリー
世界中で親しまれているキャラクターである「スマイリーフェイス」をデザインしたのは、アメリカ人の美術家ハーベイ・ボールです。
1963年、ある保険会社からキャンペーンに使用するキャラクターのデザインを依頼されたボールは、ニッコリ笑う黄色くて丸い「スマイリー」をわずか10分で考え出したそうです。
このキャラクターは、後にTシャツやポスターなど様々な商品に使われ、莫大な利益を生むことになるのですが……。
考案者であるボールが手にしたお金は、保険会社との契約金である45ドル(今の貨幣価値で約3万5千円)のみだったそうです。
5 マウス
世界初のコンピューター用マウスは、1964年にアメリカ人の発明家ダグラス・エンゲルバートによって考案されました。
その特許を1967年に申請したのが、彼が当時勤めていたSRI社。
しかし、マウスの価値を把握しきれていなかった同社は、後にこの特許を約4万ドルでアップル社に譲渡します。
そして、1987年には特許の有効期限が切れてしまうのですが、皮肉なことに、マウスがパソコン用の周辺機器として普及し始めるのはこの後からでした。
結局、エンゲルバートの元には、マウスの特許による利益は全く入ってこなかったのです。
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6 テトリス
1984年にロシア出身のプログラマーであるアレクセイ・パジトノフによって開発されたテトリスは、これまでに全世界で7千万本以上も売れています。
今の常識で考えれば、生みの親であるパジトノフはこのゲームのおかげですぐに億万長者になったであろうと思ってしまいますが……。
そうはなりませんでした。
何故なら、この画期的なパズルゲームが誕生したとき、それに関する権利は自動的に旧ソ連のものになっていたからです。
つまり、このゲームが世界中でバカ売れしている間、その途轍もない売上げは彼にとっては悲しいほど無関係なものでした。
ソ連政府もさすがにそれでは酷すぎると考えたのか、パジトノフに対し補償金の給付を検討すると約束したのですが、それを果たす前にソ連が崩壊。
2004年になってようやくパジトノフはテトリスに関する権利を取り戻すのですが、残念なことにその頃にはかつてのテトリス・ブームは去っていました。