人間は、他人を差別すること無しには生きていけないのかもしれません。
それくらい、我々の日常には差別が溢れています。
そして偏見も。
ちなみに、「差別」と「偏見」は同じような意味で使われることが多く、両者の違いはやや微妙ですが、決定的に異なるのは、「差別」は具体的な行動を伴うことが多いので、悪質な場合は裁判沙汰になるという点です。
よって、偏見は抱いているが、差別はしないということもありえます。
〈originally posted on October 13,2018〉
1 最も差別されるタイプの人
差別には様々な種類がありますが、すぐに思いつくところでは、人種差別や性的マイノリティーに対する差別、性差別(特に女性蔑視)、障がい者差別などが挙げられます。
ところで、こういった差別の中で、差別される機会が最も多いのはどれなのか。
最近イギリスで行われたリサーチが、それに対する一つの答えを出しました。
そのリサーチによれば、最も頻繁に差別を受けているのは、肥満体型の人たちです。
イギリス国民の62%が、体重が重いことが一番差別されやすいと考えているのだとか。
では、なぜ肥満だけが特に差別されるのか。
その原因の根底にあるのは、人種や性別などと異なり、食生活は本人がコントロールできるものだという認識です。
つまり、太っている人は、自己責任でそうなったのだから、からかわれても仕方あるまいということ。
しかし、近年の研究により、肥満になるのは決して本人だけの責任ではなく、遺伝や育った環境、さらには、日常的に服用している薬、子供の有無など、実に様々な要因が関係していることが分かっています。
肥満が自己責任ではないとすると、太ってしまうことについて自分ではどうにもできないということです。
すなわち、痩せることはできません。
その意味で、肥満は「治療不可能」なのです。
ただし、世の中には劇的なダイエットに成功する人がいるのも事実。
「結果にコミット」するような会社が、そのテレビCMの中で、そういう人をビフォー・アフター形式で紹介しているのをご覧になったことがある方も多いでしょう。
しかし、あるリサーチによれば、ダイエットに挑戦した人の中で、劇的な減量に成功し、なおかつその体重をずっと維持できる人というのは、全体の0.002%しかいないそうです。
ちなみにこの確率は、頭に銃弾を食らって、なお生き残る確率の25分の1。
すなわち、ダイエットで別人に生まれ変わり、その体型をキープできる確率より、銃で頭を撃たれて一命をとりとめる確率の方がはるかに高いのです。
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2 筆跡からその人が犯罪者予備軍であるか否かが分かる?
を書くときの悩みの一つは、パソコンで作成するか、手書きにするかということでしょう。
どちらの方が有利かというのは、企業によって違います。
今どき手書きなんて時代遅れで、ワードで作成されたものの方が読みやすい、という企業もあれば、手書きの方がその人のやる気や根性が分かるという企業もあります。
手書きの場合、書き損じたらまた一からやり直しですから、確かに「やる気」があるかどうかは分かりそうな気もします。
しかし、筆跡からその人の性格や能力まで判断できるのか。
この点、筆跡学者はそれができると信じています(ちなみに、彼らは「筆跡鑑定士」とは異なります)。
筆跡学者は、個人の筆跡を見れば、書き手がそれを筆記した時の精神状態や、その人の性格、また、その人がアルコール中毒者か否か、暴力的かどうか、盗癖があるか、などといったことまで分かると主張しています。
さらに、学校の教師の筆跡を見ただけで、その教師が将来的に生徒に性的暴行を加える可能性があるか、といったことまで分かると言う筆跡学者もいるのです。
ここまで来ると、手書きの履歴書を重視する企業とは次元が異なります。
しかし、筆跡からその人の内面に関して多くの情報が得られるという主張には、科学的根拠はありません。
筆跡を見て確実に判断できるのは、字が上手いか下手かという客観的事実だけです。
3 身長の高い人の方が就職に有利という現実
女性の場合、身長が低いからといって、それだけで周りから馬鹿にされることはまず無いでしょう。
一方、男の場合、身長はちょっと厄介な問題です。
中学や高校では、どういうわけか背の低い男子は、それだけでナメられることが多いのです。
しかし、社会人になってしまえば、身長が原因で不利になることなどほとんどないはず。
……と思いきや、実はそうでもありません。
アメリカで行われた複数の研究によると、同程度の能力を持った、背の高い人と低い人を比較した場合、企業に採用される確率は、背の高い人の方が73%も高いことが分かりました。
さらに、背の高い人は、低い人よりも、平均で年収が800ドル多いのだとか。
自動車メーカーとして有名なボルボは、かつて、本社のあるスウェーデンでの求職者に対し、「身長163センチ以上であること」という条件を応募資格に付けました。
この条件は、スウェーデンの男性の1%、女性の25%が門前払いになることを意味します。
4 ネイティブと非ネイティブとの間の越えられない壁
外国語を習得する上で、最も難しいことの一つは、やはり発音でしょう。
独学で英語をマスターしたような人でも、幼少期に英語圏で生活した経験が無いと、ネイティブと全く同じような発音で英語を話すのは至難の業。
文法的には何の問題も無いのに、明らかにネイティブとは違う訛りがあることで、要らぬ偏見が生まれる可能性もあります。
では、日本人が、ネイティブと全く同じ完璧な発音で英語を話せば、会話中にネイティブから偏見を受けることは無いのか。
答えはNOです。
実は、ネイティブスピーカーは、相手が話す英語に訛りがあるから偏見を持つのではありません。
「ネイティブでない人」が英語を話しているという事実だけで、すでに偏見を持つのです。
この事実を証明する面白い実験があります。
ネイティブスピーカーによる講義を録音したものを二種類用意し、同じくネイティブの被験者に対して、それぞれの講義を行った講師の名前を、一方は中国人の名前で、もう一方はアメリカ人の名前で紹介したのです。
すると、両方の講義を聞いた被験者のほとんどは、中国人(実はネイティブ)の講義の方が、その内容を覚えている割合が低いということが分かりました。
中国人の講義であると言われただけで、内容を理解しづらくなり、それが記憶の定着度にも影響したのです。
要するに、訛りのある外国語を話すことによって、その言語のネイティブスピーカーから偏見を受けるかもしれないというのは、単なる思い込みに過ぎません。
実際は、ネイティブと同じ発音でその外国語を話しても、やはり偏見を持たれてしまうのです。
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5 結局、誰もが外国人に対して偏見を持つ
我々が無意識のうちに偏見を持ってしまうことを証明する事実はまだあります。
南カリフォルニア大学で行われた或る実験では、次のような画像が使用されました。
これを中国系アメリカ人に見せて、先頭の魚の役割について、どう考えるかを尋ねたのです。
すると、中国語訛りの英語で説明を受けたグループは、先頭の魚は後ろの集団に追われていると答え、訛りの無いアメリカ英語で説明を受けたグループは、先頭の魚は後ろの集団を率いていると答えたのです。
前者の捉え方は、集団を重んじる中国的な考え方と親和性があり、後者の捉え方は、個人を重んじるアメリカ的な考え方に通じます。
中国系アメリカ人の場合、中国語訛りの英語を聞くことで、物事の捉え方も、より中国的なものになったのです。
興味深いことに、生粋のアメリカ人に同じ実験を行ったところ、これとはまた異なる結果が得られました。
彼らは、中国語訛りの英語で説明された場合の方が、アメリカ的な捉え方をする傾向がより強かったのです。
被験者の中には、自分には差別や偏見の傾向は微塵も無いと信じている人もいたことでしょう。
しかし、中国語訛りの英語を聞いた途端、彼らは、外国語や外国の文化をシャットアウトし、アメリカ人としてのアイデンティティーを守ろうという意識が強く働いた結果、よりアメリカ的な考え方になったのです。
結局、我々は、外国人に対して全く偏見を持たないようにするのは、ほとんど不可能と言っていいかも知れません。
それだけに、偏見を持ってはいても、差別はしないという態度こそが重要なのでしょう。
「私は、誰に対しても一切何の偏見も持っていない」
と断言する人と、
「私は、多少の偏見は持っているかもしれないが、差別はしない」
と言う人と、一体どちらが信頼に値するのでしょうか……。