ヒラリー・クリントンが優勢であると報じられてきたアメリカ大統領選挙は、共和党のドナルド・トランプの勝利で幕を閉じました。
クリントン支持派のアメリカ国民の中には、絶望の中で涙を流す人も珍しくなかったとか。
日本に対しても強気な発言を繰り返していたトランプ氏が次期大統領に決まったことで、不安を感じている人は多いでしょう。
「ヒラリーさんの方が大統領に相応しいのに……」
こう思いたくなるのも無理はない気がしますが、しかしここで冷静になって考えてみると、本当にヒラリー・クリントンは手放しで大統領に適任だと言えるのでしょうか。
実は、そうとは思えないような事実も存在するのです。
彼女は、女性初の合衆国大統領になり損ねましたが、実は既に「史上初めて」という記録をいくつか達成しています。
不動産投資が絡んだ「ホワイトウォーター・スキャンダル」で、ヒラリー・クリントンは歴代のファーストレディで唯一裁判所からの召喚を受けています。
さらに、大統領である夫とともにFBIから指紋を採取されるという、これまた他に例の無い経験をしているのです。
ちなみに、僕自身はドナルド・トランプもヒラリー・クリントンも、それほど大統領に相応しいとは思いません。
今はトランプ氏に人々が反発する傾向が強いですが、ではクリントン氏が大統領になっていたら全てが良い方向に進んでいたかというと……。
個人的には、真に大統領の器を備えているのは「アメリカ緑の党」のジル・スタインのような気がしますね。
〈originally posted on November 10,2016〉
1 弁護士時代、被害者に地獄を見せた
1975年、当時27歳のヒラリーが弁護士として活動していたころ、彼女は工場で働く41歳の男性の弁護を担当しました。
彼にかけられた容疑は、12歳の少女への婦女暴行。
裁判が始まるとヒラリーは、被害者の少女にとっては悪夢としか言いようのない弁護を展開しました。
その若き法律家は、被害者の少女は年上の男と性的関係を持つことを夢見て、常日頃からその類のことを妄想していたに過ぎないと主張し、彼女の発言はすべてウソであると断じたのです。
このときの気持ちを、被害者本人は「地獄に突き落とされたよう」だったと後に語っています。
ヒラリーはその後、あるインタビューで、この事件において被告人が真犯人であることは分かっていたとコメントしました。
2 ウソも方便(?)
ヒラリー・クリントンは、少し調べれば簡単にバレてしまうようなウソを度々ついています。
1996年、彼女はファーストレディとしてセレモニーに参加するため、飛行機でボスニアを訪問。
そのときの様子をヒラリーは、スナイパーの銃撃が続く中、身を危険にさらしつつ車で現場まで移動したと語りました。
ところが、このときの状況はレポーターたちがしっかり映像に残しており、彼女の発言は真っ赤なウソだと発覚。
スナイパーが命を狙うどころか、小さな女の子がヒラリーに花束を手渡す和やかな瞬間まで写真に収められていました。
また1973年には、当時26歳のヒラリーは海兵隊員になることを決意。
結果的に彼女は入隊を拒否されてしまうのですが、ヒラリーはそれが主に年齢や性別に基づいた差別的な対応であると批判しました。
しかしながら、軍関係者の話によれば、入隊拒否の理由は年齢や性別などではなく、ヒラリーの不満は完全なでっちあげだったのです。
3 邪魔者は排除せよ
ホワイトハウス内には、大統領の日々の移動に関する手配などを統括する部署があります。
1993年、ビル・クリントンが大統領に就任したとき、その部署を取り仕切っていたのは30年以上のキャリアを持つビリー・ゲイル。
しかし、彼はクリントン一家がホワイトハウスに入ってから程なくして職を失うこととなります。
ゲイルの部署が横領を行っている疑惑があるという根も葉もない噂をヒラリーが流し、FBIに捜査を要請したのです。
その結果、ゲイルとそのスタッフは全員クビになり、代わりに大統領選に尽力してきた、クリントンに近しい人たちが後釜に座ることに。
後にヒラリーは、FBIへの捜査要請は自分が最初に言い出したことではないと釈明しました。
ところが、その後発見された彼女のメモから、この発言もウソであることが判明。
FBIの捜査の結果、ゲイルの無実が証明されましたが、途切れてしまったキャリアが元に戻ることはありませんでした。
4 Eメール問題
今回の大統領選で、ヒラリー・クリントンにトドメを刺したといっても過言ではないのが、例のEメール問題。
政府から提供された安全性の高いメールアドレスではなく、第三者に漏れる可能性のある私用のアドレスを使って公的なメールのやり取りをしていたことが発覚し、彼女は一気に非難の的となりました。
FBIの捜査により、ヒラリーが送った大量のメールのうち、65件に政府の機密情報が含まれ、22件にはトップシークレットに当たる情報が含まれていることが分かったのです。
さらに、ロシアとつながりのあるハッカーにこれらのメールを見られる具体的な危険性があったとされています。
その後、彼女は証拠隠滅のために31000件ものメールを全て削除。
この大失態に対してヒラリーは、機密情報の扱われ方についてよく理解しておらず、また、2台の携帯電話を使い分けるのが煩わしかった、などと弁明しています。
5 ヒラリーの周りで起きる謎の死
ヒラリー・クリントンの周りでは、単なる偶然として片付けられないほど多くの人が謎の死を遂げています。
2016年、ヒラリーの選挙資金に関連した不正な金の動きについて、法廷で証言をする予定だった元国連議会総長ジョン・アッシュが、ジムで死亡しているのが発見されました。
一見するとそれは事故死だったのですが、ダンベルを自らの首の上に落下させて死ぬという、かなり不自然な死に方だったのです。
また、1998年3月8日、クリントン夫妻が関わったとみられる事件で目撃証言をするはずだったジェイムズ・マクドゥーガルが、刑務所の中で心臓発作を起こして死亡しています。
これらの事件だけでも何やら怪しい要素が見え隠れしていますが、驚くなかれ、ヒラリー・クリントンにつながりを持ち、不可解な死を遂げた人の数は、実に46人にも上るのです。