どんな犯罪者にも、必ず終わりの時はやってきます。
それが囚人としてなのか、一般市民としてなのかは人によって異なるでしょう。
前者の場合、その囚人が最期に放ったセリフはしばしばメディアで取り上げられます。
後悔の念を口にする者もいれば、反省の情など微塵も感じさせない者もいます。
そして、実に奇妙な言葉を残す者も……。
〈originally posted on January 31, 2023〉
1 「ポテト、ポテト、ポテト」
ロバート・チャールズ・タワリーという男は、1991年、慈善活動家だったロバート・ジョーンズ宅に強盗に押し入り、彼の命を奪いました。
その後の裁判で有罪が確定し、宣告された刑は極刑。
しかし、その刑は執行されないまま、月日だけが流れました。
そして20年後、遂にタワリーにとって最期となるべき日がやってきたのです。
被害者であるジョーンズの遺族が見守る中、彼は謝罪と後悔の言葉を口にし、涙を流しながら次のセリフで締めくくりました。
「俺は家族を愛してる」
「ポテト、ポテト、ポテト」
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
は?
ポテトが一体何の関係があるのか。
お腹が空いていたのか。
ふざけているとしか思えないこの言葉は、実はタワリーが姪っ子と言っていた単なるジョーク。
ハーレー・ダビッドソンの「ポコン、ポコン、ポコン」というエンジン音が、何となく「potato」の発音に似ていることから生まれたギャグだったのです。
姪っ子にしか分からないギャグを言い残してこの世を去るというのは、確かに家族への愛情と言えるかも知れません。
【スポンサーリンク】
2 言うのか言わんのか、どっちなんだい!
人生の最期に何を語るか。
人によっては、これはかなり重要な問題です。
逆に、人によってはかなりどーでもいい問題かも知れません。
1921年、米国イリノイ州で暴動を起こし、2名が犠牲になった事件を起こした罪で、グローバー・クリーヴランド・レディングという男に極刑が言い渡されました。
刑が執行される直前、最後に言い残したことはあるかと問われ、この男は次のように答えたのです。
「俺には言うべきことがある」
「でも今はその時じゃない」
・・・・・・・・・。
というわけで、この男は「言うべきこと」を言わないまま、最期となる運命を受け入れました。
囚人の中には、最期の時まで何も語らないままでいる者もいます。
この点、レディングには言うべきことが本当に何かあったのか。
それは今となっては誰にも分かりません。
3 「今ので5ドル」
今から30年以上前、米国テキサス州出身のビリー・ウェイン・コーブルは、別居中の妻の家族(両親と兄)を殺害しました。
彼は、被害者の自宅で待ち伏せし、銃で犯行を行ったのです。
さらにその後、妻を誘拐。
妻も命を狙われましたが、かろうじて難を逃れています。
裁判で、コーブルは極刑を宣告されました。
2019年3月、70歳を過ぎたコーブルの刑が執行されることとなったのですが、その時に言い残したセリフがかなり変わっています。
「愛してる」
「今ので5ドルだ。じゃあな」
5ドルとは何のことなのか。
コーブルは、自分の最期の言葉に自ら価格を設定したのです。
5ドルというのが高いのか安いのかはよく分かりません。
最期の言葉に値段を付ける者など前代未聞です。
ただ、地獄の沙汰も金次第と言いますから、あの世での金策に苦労したくなかったのかも知れません。
4 不気味な予言をした「魔女」
続いてご紹介するのは、厳密に言えば「極悪犯罪者」ではありません。
犯罪者に仕立てあげられてしまった不運な人です。
「魔女裁判」という言葉を聞いたことのある人は多いと思います。
これは、1692年に米国マサチューセッツ州で、怪しい魔術を使うという理由で大勢の女性が犠牲になった裁判。
その裁判において、かなり早い段階でターゲットにされた者に、サラ・グッドという女性がいます。
サラに対する不当な刑が執行されるとき、彼女はニコラスという牧師に向かってこう言い残しました。
「あなたが魔法使いでないように、私も魔女などではない」
「もし私の命を奪えば、神があなたに、飲むべき血を授けるでしょう」
おそらく、これを聞いた当時の人々は、彼女が何を言いたいのか理解に苦しんだことでしょう。
しかし、このセリフを言われたニコラス牧師は、後日、内出血により口内を血で溢れさせて亡くなったとされています。
つまり、彼女が言った不気味な予言は、ある意味当たっていたのです。
5 品位を保ちつつ刑を執行
18世紀半ば、メアリー・ブランディというイギリス人女性は、ウィリアム・ヘンリー・クランストンと恋仲になり、あるとき結婚を考えるに至りました。
しかしながら、彼女の父フランシスは、二人の結婚に反対。
この事実を知ったクランストンは、彼女の父親の考えを改めさせるという名目で、ある薬をブランディに手渡し、それを父親に飲ませるように助言したのです。
その薬の正体は、ヒ素。
ブランディからもらった薬を飲んだフランシスは亡くなり、原因がその薬であると判明すると、彼女は裁判にかけられました。
薬の中身をブランディが知っていたのか否かは定かではありません。
いずれにせよ、裁判の結果、彼女は絞首刑に。
1752年、ブランディの刑が執行されるとき、自分のスカートを気にしながら彼女はこう語りました。
「品位を損なわぬよう、皆さま、高く吊るしてはなりませんよ」
ブランディは非常に聡明な女性だったとされています。
最期の時でさえ、スカートの中を気にする発言をしたのは、彼女なりのユーモアだったのでしょう。
【スポンサーリンク】
6 長過ぎる「最期の言葉」
囚人が言い残す最期の言葉は、ごく短いフレーズであることが普通です。
しかし時には、普通でない囚人も現れます。
1980年代、ヒッチハイクを繰り返しながら、車に乗せてくれたドライバー2人を殺害したのが、マイケル・ビュークという男。
当時、メディアの注目を集めたビュークは、「マッド・ヒッチハイカー」というあだ名を付けられていました。
犯行の動機は、ヒッチハイクを装って車を奪い、その車で銀行強盗をするため。
彼は薬物密売の事件で裁判にかけられていたので、その弁護士費用を手に入れるべく、強盗を計画したのです。
後にビュークは裁判で極刑に処せられ、その執行が2010年に行われました。
その際、彼は涙を流しつつ、最期の言葉として、ローマ・カトリック教会の祈りを57回も繰り返したのです。
言い終わるまでに要した時間は17分。
執行を見守っていた人々は、余りの長さにウンザリという表情だったとか。
とは言え、17分間も祈りの言葉を続けたということは、自分の行いを深く反省していたということなのでしょう。