「努力は必ず報われる」という言葉は、聞こえはいいですが、常に正しいとは限りません。
必死で努力しているのに、ゴールが一向に見えてこないこともあります。
例えるなら、汗水垂らして自転車をこぎ続けていながら、チェーンが外れているのに気づいていないようなもの。
逆に、努力とは無関係に優れたアイデアが突然向こうからやって来ることもあります。
今回ご紹介するのは、そんなラッキーな体験から生まれた発明の数々です。
〈originally posted on February 19,2019〉
1 電子レンジ
一人暮らしの最強の味方と言っても過言ではない電子レンジ。
電子レンジさえあれば、食生活ではとりあえず不自由しません。
こんな便利な家電製品を発明したのが、パーシー・スペンサーという人。
軍事関係の会社であるレイセオン社に勤めていた彼は、1946年、レーダーシステムに使われるマグネトロンという部品を扱っていたところ、服のポケットに入れていたチョコレートバーがドロドロに溶けているのに気づきます。
これはひょっとすると、マグネトロンから発せられる電磁波の仕業ではないかと考えたスペンサーは、試しに生卵を電磁波に晒してみました。
しばらく待つと卵が爆発。
それを見てテンションが上がったのか、彼は続いてトウモロコシを使って実験。
すると、世紀の発明をしたスペンサーを祝福するかのように、研究室に大量のポップコーンが弾け飛んだとか。
これが、電子レンジ誕生のきっかけなのです。
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2 フィレオフィッシュ
マクドナルドの数ある定番メニューの中で、比較的ヘルシーな印象を持たれているのが、フィレオフィッシュです。
このメニューが誕生したのは、ほとんど偶然によるもの。
ある店舗のオーナーだったロウ・フルーンという男性が、金曜日だけ売り上げが落ち込むことに頭を悩ませていました。
金曜日だけ客足が遠のく原因を探りつづけ、彼は一つの結論に到達。
その地域はローマ・カトリック信者が多いので、宗教上の理由から、金曜日に肉を食べなかったのです。
肉が駄目なら魚で勝負。
こうしてフィレオフィッシュが誕生しました。
3 ティーバッグ
ティーバッグが誕生したのは20世紀初頭のアメリカ。
紅茶と言えばイギリスですが、意外なことにティーバッグ発祥の地はイギリスではないのです。
紅茶の販売をしていたある男性が、サンプルを配るとき、小さな袋に茶葉を入れて客に渡していました。
彼としては、袋から出した茶葉をポットに入れて使うことを想定していたのですが、客のほとんどは袋を直接熱湯の中に入れて飲んでいたのです。
この飲み方が定着し、ティーバッグの生産が本格的に始まりました。
そうなると、厳密にはティーバッグを発明したのは客の方だったと言えるかも知れません。
4 ポストイット
ポストイットは、普通に付箋として使用するだけでなく、メモや連絡など様々な用途に役立つ優れもの。
1968年、3Mの研究員だったスペンサー・シルバーという男性が、会社からある重要な仕事を任され、それに失敗したのが、この便利グッズが生まれたきっかけです。
その重要な仕事とは、航空宇宙産業界に向けて販売する、超強力な接着剤の開発。
しかし、シルバーの研究開発は失敗に終わり、完成したのはむしろ接着力の極めて弱いものでした。
その後、同じく3Mの社員だったアート・フライが、この接着剤を利用した付箋を作成。
賛美歌を歌っているときによく歌集のページを間違える彼は、その付箋を使ってみて、その便利さを実感しました。
剥がしたときに紙面が汚れることなく、何度でも使えるこの付箋を商品化するため、シルバーやフライが中心となってプロジェクトを立ち上げます。
シルバーの最初の失敗から実に12年の苦労の末、ようやくポストイットが店頭に並ぶことになったのです。
ちなみに、最初のポストイットの色が黄色に決まった理由の一つは、ポストイット開発部の隣の部屋で、黄色いメモ用紙が大量に廃棄されていたからだそうです。
5 チョコチップ・クッキー
チョコチップ・クッキーを誕生させたのは、ルース・ウェイクフィールドという女性。
1930年のことです。
夫と宿泊施設を経営していた彼女は、あるとき、宿泊客のためにチョコレート・クッキーを作ろうとしたところ、材料のチョコレートを切らしているのに気づきました。
このときルースは、チョコレートを買いに行こうとはせず、手近にあったネスレのチョコレートを細かく砕いてクッキーの生地に練り込んだのです。
彼女は最初、オーブンで焼いたときにチョコレートが溶けてクッキー全体に広がると思っていたのですが、出来上がったのは、現在我々が知っているチョコチップ・クッキーでした。
アメリカを代表するお菓子の一つとも言うべきチョコチップ・クッキーは、ちょっとした横着が無ければ生まれていなかったかも知れません。
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6 『スペース・インベーダー』の難易度
アクションゲームやシューティングゲームなどでは、プレイヤーの行動に応じて難易度が上がるように設計されているものが少なくありません。
例えば、敵を一定数撃破したり、自機のパワーアップが一定の段階に達したりすると、難易度のランクが上がり、敵の攻撃が激しくなります。
今でこそ当たり前のことですが、まだビデオゲームが普及し始めて間もない頃は、遊んでいる最中に難易度が変わるゲームなど存在しませんでした。
その常識を打ち破ったのが、『スペース・インベーダー』。
マリオの生みの親である宮本茂氏も、このゲームについて、ビデオゲーム業界に革命を与えたと賞賛したとか。
1978年にゲームセンターに登場したときは、サラリーマンたちが筐体の上にコインを積み上げて夢中になり、日本中で百円硬貨の不足を招いたと言われています。
『スペース・インベーダー』の筐体を設置すれば確実に儲かるので、ある八百屋が野菜を全て撤去してゲーム筐体を店内に並べたという話も。
ゲーム内容は至ってシンプルで、ズラリと整列したインベーダーがジグザグに動きながら降りてくるのを、下からレーザーで狙い撃つだけ。
ゲーム開始直後、インベーダーたちの動きはかなり遅いので、こちらのレーザーを命中させるのはさほど難しくありません。
ところが、敵を倒せば倒すほど、インベーダーの動きは速くなり、最後の一体を仕留めるのは至難の業。
この難易度上昇は、実は意図的にプログラムされたものではありません。
このゲームは、ゲームクリエイターの西角友宏氏が一人でプログラミングを担当したのですが、完成したゲームの中のインベーダーは、動きが少々モッサリしていました。
当時のプロセッサは、今とは比較にならないほど非力で、大量のインベーダーを高速に動かすのは荷が重かったのです。
これは、ハードウェアの性能が障害になっているので、容易に解決できる問題ではありません。
しかし、そのまましばらく遊んでいると、敵を倒してその数が減るにつれ、プロセッサにかかる負荷が軽くなり、徐々にインベーダーの動きが速くなっていきました。
元々は、インベーダーを常に一定の速度で動かすつもりだったのですが、この方がゲーム的に面白いと考えた西角氏は、そのままの状態にしておいたのです。
余談ですが、ゲームにハイスコア機能が付いたのも、『スペース・インベーダー』が最初であるとされています。