多くの人にとって、人生の最期に行き着く場所といえば、墓でしょう。
そんな墓の中でも、特に謎が多いものをご紹介します。
謎が多い墓といえば、エジプトのピラミッドがその代表格。
しかし、これからご紹介するのはそこまで規模の大きなものではなく、あくまで一般の個人の墓です。
一般的な墓であれば墓石に名前が刻まれているくらいですが、これらの墓には奇妙な謎が隠されているのです。
〈originally posted on March 1,2016〉
1 ジョン・レニーの墓
ジョン・レニーは、ウェールズで家屋塗装業をしていた男性で、1832年に33歳で亡くなりました。
彼の墓石には横19、縦15のマス目があり、上の画像(碑文の一部を再現したもの)のようにアルファベットがびっしりと刻まれているのです。
所々に「HERE」や「JOHN」といった語が読み取れるものの、それらが羅列されているために全体としてどんなメッセージが込められているのかが分かりにくくなっています。
彼の死から約170年後、地元のテレビ局が遂にこの墓石の謎を解明しました。
実はこの文字列を、ちょうどクロスワードパズルのように特定の方向に読み進めていくと…
Here Lies John Renie
(ジョン・レニー ここに眠る)
という文が現れます。
これだけだと大した謎ではないと思われるかもしれませんが、何と46000通りもの読み方でこの文が隠されているのです。
碑文が何を示しているのかはこれで一応解明されましたが、レニー本人が何故このような細工を施したのかは永遠の謎です。
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2 サクソン人の墓
2008年、イギリスのラムズゲートという町で、考古学者がサクソン人(5~6世紀に北ドイツからイギリスに渡来し定住したゲルマン民族)のものと思われる墓を掘り起こしました。
そこには2体の人骨があり、一方の人骨にもう一方の人骨の腕が、ちょうど抱きしめるような形で絡まっていたのです。
1000年以上前の骨と考えられるのですが、その当時にこのような状態で埋葬されるのは例が少ないそうです。
学者たちは当初、この二人は夫婦であろうと考えていたのですが、詳しく調べてみると色々と奇妙な点が出てきました。
一つは、この二人の身長が180cm以上もあったということ。
これは、二人が生きていた時代にはかなり珍しいでしょう。
そして、さらに驚きだったのは、この二人は実は夫婦ではなく、どちらも男性だということ。
なぜ男性どうしがこのような形で埋葬されたのかについては謎が多いのですが、一説には、この二人はサクソン人の戦士で、共に同じ戦場で死んだのではないかと言われています。
3 ベティ・スティヴンの墓
トリニダード・トバゴ共和国のプリマスという町には、ベティ・スティヴンという女性の墓があるのですが、この墓に書かれた碑文は実に変わっています。
その内容がこちら。
ここにはベティ・スティヴンとその子供が眠っている。
彼女はアレックス・スティヴンの最愛の妻であり、彼はこの妻の死を生涯悲しむであろう。
彼女は1783年11月25日に23歳で他界した。
驚くべきは、彼女は自分の知らぬ間に母親になっており、また夫の知らぬ間にその妻となっていたのである。
彼女の献身的な愛情によって、夫はようやく彼女が自分の妻であることに気づいたのだ。
非常に奇妙な文章です。
「~他界した」の部分までは特に問題無いでしょう。
問題はその後ろの一文です。
これが一体何を意味しているのかは大きな謎で、これまで様々な説が唱えられてきましたが、未だに決定打はありません。
一番理解が難しいのは、「知らぬ間に母親になっていた」という部分でしょう。
本当にそういう状況に置かれたことがあったのか、あるいは何らかの比喩表現なのか。
時代背景を考慮して、ベティという女性は奴隷であり、アレックスはその主人だったのではないかという見方もあります。
いずれにせよ、謎の多い墓です。
4 ジェームズ・リーソンの墓
ジェームズ・リーソンは、1794年に38歳で亡くなったのですが、彼の生涯については詳しいことは分かっていません。
しかし、ニューヨークにある彼の墓は、ある事が原因で非常に有名になりました。
それは、暗号です。
彼の墓石の上部には、上の画像のような暗号が刻まれているのです。
最初は誰もこの暗号が解けずにいたのですが、後にこれが秘密結社フリーメーソンで使用される暗号だと分かり、1889年になってようやく解読されました。
その答えがこちら。
REMEMBER DEATH
(死を忘れるな)
この墓石には、砂時計の絵も刻まれており、これらのことからこのメッセージは、人の死はいつ訪れるか分からないから時間を無駄にするな、という教訓だと考えられています。
5 ニック・ビーフの墓
1963年11月22日にテキサス州ダラスで発生したジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件の犯人とされているのが、リー・ハーヴェイ・オズワルドという人物です。
彼が真犯人なのかどうかについてはいくつかの疑問点があったのですが、事件の真相が明らかになる前に彼自身が暗殺されました。
オズワルドの墓はフォートワースのシャノン・ローズ・ヒルにあります。
その墓の隣にある区画はずっと空いたままでした。
歴史に名を残す殺人犯の隣に埋葬されるのを望む人など、よほどの物好き以外にはいないでしょう。
しかし、1997年になってオズワルドの隣に墓石が現れたのです。
その墓石には「ニック・ビーフ」という名前が刻まれているのみ。
ニック・ビーフとは一体何者?
オズワルドと何か関係が?
大統領暗殺の真相を知る人物?
この男の正体を巡って長きに渡って様々な議論がありました。
そして、大統領暗殺から50年を迎えた2013年、ついにニック・ビーフ本人が正体を明かし、事の次第をニューヨーク・タイムズに語ったのです。
本名をパトリック・アベディンというその男性は、テキサス州出身で、現在はニューヨークで暮らしています。
彼が6歳のとき、ケネディ大統領がダラスを訪れ、2日間の日程でパレードを行いました。
パレードの初日、沿道は山のような人だかりで、子供たちは大人の陰に隠れて大統領の姿を見ることは出来ません。
そんな中、人混みで迷子になったパトリック少年は、一緒に来ていた父親を探すために警察官に肩車をしてもらっていたのです。
「特等席」で大統領の姿をハッキリと目に焼き付けた彼は、翌日、学校で一躍注目の的になりました。
自分だけが見た光景を自慢気に語ったことでしょう。
そして同じ日、大統領が射殺されたという校長のアナウンスが流れたのです。
1996年、彼はフォートワースの墓地の中で、オズワルドの隣の区画が空いていることを知り、その場所を購入しました。
その際、自分の子供たちへの影響を考えて、「ニック・ビーフ」という偽名を使ったそうです。
大統領を暗殺した人物の隣にわざわざ墓を作った理由については、「単純に個人的な理由」と語っていますが、決して悪ふざけの類ではないのだとか。
恐らくはパレードのときの体験が関係しているのでしょうが、本当の理由は本人のみぞ知るということになります。
ちなみに、パトリック自身は火葬を望んでおり、「ニック・ビーフ」の墓に入る気は無いそうです。
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