子供は外で元気に遊ぶもの。
ある意味、遊ぶことが仕事と言えます。
しかし、世界には、子供が大人と同様の仕事をせざるをえない時代がありました。
しかも、かなり危険な仕事を。
国や地域によっては、現代でも、子供が働いています。
今回は、子供が実際にしていた危険すぎる仕事をご紹介します。
〈originally posted on December 27,2015〉
1 マッチ工場
1800年代、イギリスのマッチ工場では、下は4歳からの女子児童が、朝の6時から夜10時まで働いていました。
作業内容はひたすらマッチ棒の先端を「リン」の中に浸すだけという単純なもの。
しかし、仕事中に会話をしたり、マッチ棒を床に落としたりすると、半日分の給料が罰金として引かれていたのです。
また、空気中に飛散したリンを長時間吸い込むことにより、アゴの骨が壊死する症状にも悩まされました。
彼女たちのアゴは通常よりも膨れた形状になり、色は緑がかった感じで、症状が悪化すると脳や臓器へもダメージがありました。
末期の状態になってしまうと、アゴの骨を切除するしか助かる術は無かったそうです。
2 紡績工場
18世紀と19世紀における紡績工場で重要な労働力となったのは、就学年齢にも満たない子供たちでした。
激しく振動を続ける巨大な紡績機械の下に勢い良く飛び出してくる糸を回収するのが彼らの役目。
しかし、紡績機の下に体を滑りこませるタイミングを間違えれば、高速回転する機械に手足を潰される危険性大。
最も多かった事故は、子供たちの頭から引きちぎられた髪の毛が機械に絡まって停止するというものだったとか。
また、軽い怪我をしてしまった場合は、その未熟さを非難され、厳しい体罰が待っていたそうです。
3 煙突掃除夫
1666年のロンドン大火があってから、煙突の安全性を徹底すべく規制が強化され、その影響で子供を使って狭い煙突内を清掃する必要が生じました。
煙突掃除夫として雇われた子供たちに課せられた仕事は、23cm×36cmの小さな入口から煙突に入り、可燃性の「煤」をキレイに除去すること。
そのための準備として、彼らは肘とヒザを激しく擦られた上で塩水を擦り込まれ、一時的に過酷な作業に耐えうる皮膚にしていたそうです。
煙突内での作業は危険を極め、子供たちは窒息死などで命を落とすこともありました。
そして、作業が遅い場合は煙突内に小さな火を放たれたり、針状の棒で突かれることもあったとされています。
4 ガラス工場
20世紀初頭のガラス工場では、「ドッグ・ボーイズ」と呼ばれる16歳以下の少年たちが、狭いスペースで高熱のガラスを運んでいました。
毎日10時間もの間、裸足のまま常に小走りで移動することを強要され、その移動距離は32kmを越えていたとか。
焼けつくような熱さの釜戸と、その真逆の冷却場とを往復するため、結核になる確率が通常の2倍もあったそうです。
また、空気中のガラス成分に晒されることで、肺ガンや皮膚ガンにかかることも珍しくありませんでした。
さらに、割れてしまったガラスを互いに投げ合うことが習慣化しており、それが原因で目や体を負傷することも日常茶飯事だったとされています。
5 タバコ工場
アメリカでは子供の喫煙はもちろん法律で禁じられています。
しかし、子供がタバコ農園で働くのは全くの合法なのです。
そして、実際にタバコ農園で働いている子供たちは、1日の作業の中で54mgものニコチンを吸っています。
これは、タバコ約50本分です。
そのような危険な場所で、毎年25万人以上もの子供が最低賃金を下回る労働条件で働いています。
ある調査によれば、7歳から17歳までの子供が週に60時間タバコ農園で仕事をしており、彼らの66%にはニコチン中毒の症状が見られるそうです。
また、50%の子供は、発がん性のある殺虫剤を常用しているのだとか…。