今から数百年前の欧米で実在した、危険すぎる美容・ファッションの数々をご紹介します。
美しくなりたいという女性の願いはいつの時代も変わりません(多分)。
そして、自分を美しく見せる上で特に重要なのは、美容とファッションでしょう。
美容に関しては、現代でも方法によっては健康上のリスクを伴うことがありますが、昔は直接死につながりかねない手段が使われることもありました。
また、ファッションに関しても、着ている服が原因で病気になるという、今の時代には考えにくいことが社会問題になった例もあるのです。
〈originally posted on July 16,2016〉
1 死の「鳥かごスカート」
(ウィキペディアより)
中世ヨーロッパの女性貴族のファッションといえば、大きく膨らんだスカートが特徴的ですが、19世紀半ばにそれをさらに進化させたスカートが流行しました。
クリノリンと呼ばれる鳥かごのような鉄製の型枠でスカートを特に大きく見せていたのです。
こういったスカート(フープ・スカート)は、あまりに人気が出たので「クリノリン・マニア」なる造語まで生まれました。
このスカートの大きさは桁外れで、度が過ぎたものになると裾の部分は直径が2mもあったそうです。
そのため、建物のドアを通るときや、馬車に乗るときなどは相当な苦労が伴ったとか。
それだけであれば少し不便を感じるくらいですが、しかしこのスカートをはくのは、ある意味命がけだったのです。
フープ・スカートは、その巨大さのため、火元の近くにいるとスカートに火が燃え移る危険がありました。
おまけに、スカートの素材には燃えやすいシルクやコットンが使用されていたので、一度燃え始めるとあっという間に下半身が火だるまになったのです。
実際、ニューヨークタイムズが、2か月の間に19人の女性が「燃えるスカート」によって死亡したと報じたこともありました。
その他にも、歩道を歩いているときに馬車の車輪に裾が巻き込まれることもあったりと、このスカートは見た目の優雅な感じとは裏腹にかなり危険なファッションでした。
2 血を吸わせて色白美人に
(ウィキペディアより)
エリザベス女王
の時代には、上流階級の女性たちはとにかく自分の顔を少しでも白く見せることに躍起になりました。
「美白」というレベルを通り越して、病的に青白いくらいが良かったのです。
その理由は、日光にさらされて肉体労働を行う者たちの焼けた肌と異なり、肌が白いことは労働とは無縁の地位を象徴していたから。
そして、最高度の白さを実現するために広く使用されていたのが、鉛白(塩基性炭酸塩)です。
日本でも「おしろい」として使われていましたが、これは毒性があるので長期間の使用には適しません。
そこで、彼女たちの中には代わりのものとして卵の白身やチョーク、尿など顔に擦り込む人もいました。
さらに、「ヒル」を顔にくっつけて血を吸わせていた人もいたというから驚きです。
3 X線で脱毛
1895年にX線が発見されたことは、女性たちの「顔脱毛」の方法に劇的な変化をもたらしました。
それまでは、痛みと手間とお金のかかる面倒な方法が主流でしたが、X線を使えば顔に照射するだけで簡単に脱毛効果が得られるのです。
もちろん、副作用がシャレにならないですが……。
当時はX線の危険性について正確に理解していた人はあまり多くなく、それどころかX線による脱毛を売りにした美容外科までありました。
そして、危険な放射線をたっぷり顔に浴びた女性たちに、皮膚ガンなどの様々な悪影響が現れ始めたのは、X線脱毛を利用し始めてから20年以上も経ってからだったのです。
その段階になって、美容外科を訴える人が急に続出したとか……。
4 暗闇で光る美肌
1898年、キュリー夫妻によってラジウムが発見されましたが、研究が進んでその性質や危険性について詳しいことが明らかとなるまでは、今の常識では考えられない用途に利用されていました。
咳止めやハミガキ粉、さらにはチョコレート・バーにまで「ラジウム入り」のものがあったのです。
また、ラジウムは暗闇で青白く光ることから、女性の化粧品などにも使われ、美顔クリームや口紅といった商品のなかには、暗い所でほのかに発光するものがあったとか。
ちなみに、ラジウムの発見者であるマリ・キュリー自身も放射線の危険性を把握しておらず、放射線同位体が入った試験官を普段から持ち歩いていたそうです。
5 死をもたらす緑色
19世紀半ばのヴィクトリア朝の時代には、意外なことに一般の人が衣服などに利用できる緑色の染料がありませんでした。
では、どうしても緑色の服が欲しい場合はどうしていたのかというと、緑の代わりに青色を使っていたのです。
しかし、スウェーデン出身の化学者であるカール・ヴィルヘルム・シェーレが、「シェーレズ・グリーン」と呼ばれる緑色の染料を発明してから状況が一変。
人々は、服や壁紙、カーテンなどあらゆる物に、鮮やかなシェーレズ・グリーンを使い始めました。
ところが、この染料は有毒なヒ素を主原料にしていたので、服を始めとする身の回りの物に使用するには危険すぎました。
しかも、衣服に塗られたヒ素は人間の肌に浸透する性質があったため、着ている者に深刻な健康被害をもたらす結果に。
抵抗力の弱い子供の場合、緑色の壁紙が使用された部屋で長時間すごしたり、緑色の靴下を履いたりしていただけで死に至ることもあったとか。
ちなみに、このシェーレズ・グリーンにヒ素が含まれていることはちゃんと公表されていました。
にもかかわらず、人々はこの染料が有毒であるのを理解したうえで使い続けていたのです。
しかし、何千人もの被害者が出てから、ようやくこの「危険な緑」を使う人は減り始めます。
やがて、この有毒な染料が完全に使われなくなり、それから100年以上も経った現在ではもはや何の影響も残っていないだろうと思いたくなりますが……。
しっかり残っています。
実は現在でも、古い建物の中にはシェーレズ・グリーンで塗られた壁紙が張られたままのものが存在し、それらを解体・改修する際、下手をするとヒ素が撒き散らされる危険があるのです。
昔の人は、そのことを知っていたからこそ、自分では何もせずにそういった部屋を放置していたのでしょう。