現在、犯罪捜査の手段の多くは科学的手段の支えられ、ごくわずかな証拠からでも犯人を特定することができる。
しかし、今ほどにはそういった技術が発展していなかった時代においては、いくつかの手掛かりがありつつも、迷宮入りとなる事件も珍しくなかった。
それらの中には、実に複雑で、犯人の見当が付かないものも。
今回は、予測のつかない意外な展開をみせた、難事件の数々をご紹介しよう。
これらの迷宮入り事件の結末がすべて予想できたら、あなたは間違いなく天才である。
1 2600回を超えるイタズラ電話の真犯人
米国マサチューセッツ州ビレリカに住むドナ・グレイビールは、長い間、無言電話に悩まされていた。
ベルが鳴って受話器を取ると、相手は何も喋らない。
電話が切れると、約90分ほど経ってからまた同じ電話がかかってくる。
彼女が一つ気になったのは、電話が切れる際、必ず空気の吹き出すような妙な音が聞こえたこと。
この不気味な無言電話が始まって6ヶ月ほど経ち、電話の回数も2600回を超えたとき、ついに彼女は警察に相談。
警察が逆探知で発信元を突き止めた結果、メリーランド州に住むジェイムズ夫妻の家にたどり着いた。
ところが……。
警察が夫妻の家を訪ねると、彼らは電話のことなどまるで知らない様子だったのだ。
そして、捜査を進めていくと、驚きの事実が判明した。
イタズラ電話の真犯人は、なんと……。
オイルタンク
だったのである。
夫妻の家の地下室に設置されたそのオイルタンクは、すでに使われなくなっていたものの、燃料が少なくなると、自動的にメンテナンス会社へ電話をかけるようにセッティングされていたのだ。
では、その電話が何故ドナの家にかかってきたのか。
実は、そのメンテナンス会社の番号は廃止されていたのだが、ドナが電話会社と契約した際、たまたまその廃止された番号を自分の電話番号として選んでいたのだ。
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2 無実の罪で終身刑を食らった男
1989年8月11日、ロードアイランド州ウォリックのアパートで、ヴィクトリア・クシュマン(29)が殺害された。
捜査の結果、彼女の部屋から1通の手紙が見つかり、そこにはジェフリー・スコット・ホーノフという警察官との不倫関係を疑わせる内容が書かれてあった。
どうやら彼女は、ホーノフとの結婚を望んでいたようなのだが、彼の側は奥さんと別れる気がなく、関係がもつれていたのである。
邪魔になったクシュマンをホーノフが殺した……というのは十分にありうるように思われたが、しかしホーノフにはアリバイがあった。
事件のあった夜、彼はパーティに出席しており、ちゃんと証人もいたのだ。
しかし、いざ裁判が始まると、パーティの最中に抜け出して犯行に及ぶことは十分可能だったと認定され、1994年に彼は終身刑を言い渡される。
状況証拠ばかりで、決定的な証拠に乏しい事件だったこともあり、ホーノフは無実を訴え続けたのだが、判決が覆ることは無かった。
ところが、2002年の11月に驚くべき展開が待っていた。
トッド・バリーと名乗る45歳の男が、クシュマン殺害の真犯人は自分だと言って自首してきたのである。
彼は、報道によってホーノフのことを知り、事件と何の関係も無い人間が終身刑になってしまうことに耐えられず、自首を決意したらしい。
3 54年間隠され続けた決定的証拠
1957年12月3日、イリノイ州シカモアに住むマリア・リダルフという7歳の女の子が友達と遊んでいたところ、「ジョニー」と名乗る男が話しかけてきた。
そして、友達が少しその場を離れてから戻って来てみると、そこには既にマリアとジョニーの姿は無かった。
第一容疑者と目されたのは、近所に住むジョン・テシアという17歳の少年。
彼は「ジョニー」と名乗った男と雰囲気が似ていたのである。
ところが、ジョンにはアリバイがあった。
彼は事件のあった日、空軍に入隊するために列車でロックフォードからシカゴに向かっていたと主張したのだ。
入隊の記録もしっかり存在していたので、アリバイは崩せない。
事件は完全に迷宮入りかと思われた。
しかし、約40年後の1994年、意外なきっかけで事件の再捜査が始まる。
きっかけを作ったのは驚くことにジョンの母親なのである。
彼女は亡くなる直前、事件の真犯人は息子に違いないから再捜査をしてくれと警察に懇願したのだ。
実は、ジョンは小さい頃に自分の妹たちに虐待を加えていたことがあり、その事実からこの母親は息子が犯人だという疑いを強めていたようだ。
そして再捜査の結果、ジョンの元彼女がジョンから貰ったというフォトフレーム付きの写真から決定的証拠が発見される。
そのフォトフレームを分解したところ、ジョンが乗ったと思われる列車の切符が出てきたのだが、そこには検印が押されていなかった。
つまり、彼は事件のあった日、列車に乗っていなかったのである。
2011年、裁判の結果、ジョンには終身刑が言い渡された。
4 「切手」から犯人特定
DNAに基づく捜査の凄さがよくわかる件。
2010年11月26日、イタリアのブレンバーテ・ディ・ソプラに住む女性が殺害された。
捜査機関は、遺体に残された犯人のDNAと、15000以上ものDNAサンプルを比較照合。
その結果、ダミアーノ・グエリノーニという人物のDNAがかなり近いことが判明したのである。
さらに絞り込むために、調査対象をダミアーノの親族にまで拡大。
しかし、彼の叔父であるジュゼッペ・グエリノーニは既に亡くなっていた。
そこで、彼が舐めたと思われる「切手」からDNAを採取し照合したところ、犯人のDNAとほぼ完全に一致することが分かったのだ。
しかし、ここで問題なのは、ジュゼッペ・グエリノーニは事件の11年も前に死んでいるという点。
となると、考えられる可能性は、彼の「子孫」の中に犯人がいるということ。
グエリノーニには3人の子供がいたが、捜査の結果、事件に関与している可能性が無いと判明。
捜査が行き詰まったかに思えたが、ここでグエリノーニの持つある不名誉な評判が突破口となった。
彼はかなりの「女たらし」だったのである。
グエリノーニと交際のあったと思われる女性を片っ端から調べた結果、エスタ・アルズーフィという女性の名前が浮かび上がる。
彼女は既に結婚し、双子を含む3人の子供がいたのだが、実は彼女、今のダンナと結婚しているときに、一度ジュゼッペ・グエリノーニと「関係」を持っていたのだ。
エスタの夫は、3人の子供が正真正銘自分の子供だと思い込んでいたようだが、双子は彼の子供ではなく、グエリノーニの子供だったのである。
双子のうちの一人に改めてDNA鑑定を施したことろ、遺体のDNAと完全に一致し、2014年に裁判で有罪判決が下された。
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