夏といえば納涼、納涼といえば怪談、そして怪談といえば……。
やはり墓地であります。
昔から、真夜中の墓地には怖い話がよく合います。
もちろん、これはあくまでそういうイメージがあるというだけであって、実際に墓地で怪談を始める人などいないでしょうし、見ているだけで恐怖感を抱いてしまうような墓も、滅多に存在しないでしょう。
「滅多に」ということは、そういう墓も、あるところにはあるということ。
今回は、そういった珍しい墓の数々をご紹介します。
〈originally posted on August 12,2018〉
1 地獄行き確定の妻へ向けたメッセージ
生前に自分のお墓を作っておくこと自体は珍しくないですが、その墓碑銘に、妻に対する恨みつらみをぶちまける人はそう多くないはず。
1918年に生まれたハーマン・ハーバンドという男性は、自分が作った墓石にびっしりと妻への恨み節を綴りました。
以下はその全内容です。
私の妻、エレノア・アーサーは、ニューヨークのクイーンズで20年間ぜいたくの限りを尽くし、世界中を旅行し、まるで一人のプリンセスのようだった。
彼女は、視力を失った私を毒殺しようと試み、私から全財産と薬を奪い、暗闇の中に病気の私を置き去りにした。
だが奇跡的に私はそこから抜け出したのである。
天国にいればこの女に会うことはもう無い。
地獄に落ちる人間に会うわけが無いのだ!
こういう文章を墓石に刻むというのは、日本ではまず考えられません。
かと言って、これがアメリカ的であるとも言えませんが……。
とにかく、ただならぬ怒りや恨みといった負の感情が凝縮しています。
これだけ気合の入った墓石を作ったハーバンドですが、2011年に彼が亡くなったとき、残念ながらこの墓石の下に埋葬されることはありませんでした。
彼は、鬼嫁エレノアと離婚し、新たなお相手と再婚していたのです。
そして現在は、ノースカロライナ州にある全く別の墓石の下で、彼は眠っています。
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2 駐車場の中に孤立する墓
1790年代、メアリー・エリスという女性が、妹のマーガレットとともにカナダのニューブランズウィックに移住し、そこで一人の航海士と恋に落ちました。
ある日、長い航海へ旅立つこととなったその男性は、戻って来たら必ず結婚すると彼女に約束。
それ以来、メアリーは毎日のように川沿いの道を下っては海を眺め、彼の船が視界に入ってくるのを待ちました。
1813年には、いつでも彼の船に気づくことが出来るように、海が見渡せる場所に土地を購入。
しかし、遂に彼と再会することなく、メアリーは1828年に亡くなりました。
メアリーと、後に亡くなったマーガレットの遺体は、メアリーが購入したその土地に埋葬されることに。
その後、月日が流れて、彼女たちの墓の周りの状況は目まぐるしく変化し、現在は駐車場になっています。
エリス姉妹が眠っている墓は、ロウズ・シアターという劇場の駐車場の一角に、まるで孤島のような感じで、フェンスに囲まれて存在しているのです。
3 取り出された心臓が眠る墓
の生みの親であるメアリー・シェリー。
その夫、パーシー・ビッシュ・シェリーが亡くなったとき、彼の遺体は火葬されたのですが、奇妙なことに、心臓だけが燃え残りました。
その心臓はメアリーに手渡され、彼女はどこへ行くにもそれを持って行ったとか。
そして1889年、シェリーの死から67年経ったとき、心臓は、シェリーの息子の遺体とともに埋葬されました。
その墓は、見た目こそ特に変わった所はありませんが、その下には心臓が収められているのです。
4 「獣」に殺された妻
米国ユタ州のソルトレイクシティ墓地にある、リリー・グレイという女性の墓石は、地元の人たちの間で長きにわたり注目を集めていました。
その理由は、謎めいた墓碑銘にあります。
と言っても、先のハーバンドのように、長い文章で思いの丈をぶちまけているのではありません。
彼女の墓石には、名前の下に生没年があり、その下には、
という文言が刻まれています。
「獣の犠牲になりし」というのは、あまり穏やかではない表現であり、しかもその後に続く「666」という数字は、ヨハネ黙示録第13章の中における、悪魔を暗示する数字と見るのが一般的。
これが一体何を意味するのかについては様々な憶測が流れました。
ユタ州立歴史協会には定期的にこの墓の謎についての問い合わせがあるとか。
同協会の職員の話では、彼女の死因は老衰であったとのこと。
では「獣」はどこから出てきたのか。
実は、墓石を作るときにこの墓碑銘を考えたのは、リリーの夫であるエルマーです。
しかし、彼が何故このような不吉な文言を選んだのかは、よく分かっていません。
ただ、エルマーと親しい人によると、彼は「政府=獣」と捉えていたようで、自分の妻は国に殺されたのだという思いが強かったのではないかとされています。
5 ベイビー・モンスター
かつて、米国のワシントン州に早期に入植した人々は、亡くなるとサー・パイオニア墓地に埋葬されていました。
その墓地には、一つだけ他とは明らかに異なる雰囲気をまとっているものがあり、その墓石には、
ベイビー・モンスター
生年 1888年10月23日
没年 1889年2月3日
と書かれてあります。
意外に思われるかもしれませんが、「モンスター」というのはれっきとしたファミリーネーム。
しかし、「ベイビー」は本名ではなく、その子に誰も名前を付けなかったために、仮の名前として墓石に刻まれたのです。
当時は、生まれてきた子供が生存できる確率が低かったので、生後数週間は子供に名前を付けないことが稀ではありませんでした。
ただ、「ベイビー・モンスター」の場合、生まれてから3ヶ月以上経っているので、その時点でまだ名前が付けられていなかったのはいかにも不自然。
名前が付けられなかった理由として、子供が洗礼を受けていなかったからではないか、とも言われていますが、真相は定かではありません。
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6 遺体を覗きこむことが出来る墓
19世紀、既に息を引き取った人の体に時おり見られた不可思議な現象として、「ラザロ症候群」というものがあります。
これは、瀕死の状態の人に心肺蘇生法などの蘇生措置を施し、その直後に死亡が確認されたにも関わらず、突然その人が息を吹き返すというもの。
このような現象が実際に起きていたことを示す証拠もあります。
当時の墓を掘り起こしてみると、棺の蓋を内側から引っ掻いたような跡が見られることがあり、これは、埋葬された後も「遺体」がまだ生きていたことを示唆しています。
米国バーモント州ニューヘイブン出身の医師であったティモシー・クラーク・スミスは、自分が生きたまま埋葬されてしまうことへの恐怖心から、窓の付いた墓石を作りました。
墓石の上面中央に正方形の小窓があり、墓の下で眠っているスミスの姿を上から覗くことができるようになっていたのです。
もし彼が地中に埋められてから、ラザロ症候群に陥ったとしても、誰かがそれに気づいて助け出すだろうと考えたわけです。
結局、スミスの遺体が埋葬されてから、彼が死後の世界から蘇ることはありませんでした。
ちなみに、彼の死後、多くの人がこの墓を訪れ、怪しげな緑色の光を見た、といった怪現象の目撃談を残しています。